ほう、と。
感心したような吐息が、ヤッファの口からこぼれた。
「メトラル族、伝説の審眼――それを、おまえさんが体現したのか」
「そうなの。あのときのレシィってば、とてもかっこよかったんだから!」
「ご、ご主人様っ、も、もうそれくらいで……っ!!」
自慢げに胸を張るトリスとは逆に、レシィの顔は真っ赤っかだ。
さもありなん。
だって――そう、たとえば、まだ例の焔を扱えていたころ、さんざかました強行軍とか切りまくった啖呵とか。そういうのを、たとえ気の置けない友人からだとしても人の口から誰かに伝えられるというのは、やっぱり恥ずかしいと思う。
まして、生来内気で恥ずかしがり屋さんのレシィなら、それはなおさらってところだろう。
「何云ってるのよ」
だが、トリスはそういうところに頓着する性格ではない。気が利かないとかいうわけではなく、純粋に、レシィを称えているのである。
――だからして、レシィも強硬に止めることが出来ず、こうして洗いざらい、あのときの話をされるがままになっているのだが。
「これはレシィの武勇伝なんだよ。もう、あたしが生きてる限り子々孫々、伝えちゃうんだからっ」
語尾にハートマークくっつけたトリスのことばに、自分こそが審眼かけられたような勢いで固まるレシィ。
「まあ、坊主が嫌がらない程度にな」
そんな微笑ましい主従を見つめ、ヤッファが苦笑してそう云った。
普段なら彼の周囲でホバっているだろう妖精さんは、今不在。間が悪いというのか、スバルやパナシェと一緒に花畑にお出かけだそうだ。
訪れたトリスは、おでこさんとの呼称をまぬがれて、ほっとしたとかしてないとか。
「それで、ヤッファさんたちはどういうことが出来るんですか?」
「俺たちか?」
「えっと……たしか、フバースですよね?」
そうそう。
レシィの生まれたメイトルパについて知りたい、というのが、彼女がやってきた動機らしい。
不意に話の矛先を向けられ、きょとんとしたヤッファに向かって、レシィが確認するようにつぶやいた。
密林の呪い師は、それを受けて軽く頷く。
「ああ。まあ、期待してるような派手なものはねえな。呼称でも判るだろう、早い話が林ン中の引きこもりだ」
「ヤッファさんだけじゃなかったんですか、それ」
――幻獣界集落の護人さんちは、“怠け者の庵”と呼ばれている。そこの主は、のツッコミに対して、曖昧に首をかしげてみせた。
「さあな。元々のんびりした暮らしを好むきらいがあるが――俺はなおさら、そうそう身体を動かせない日が多かったしな」
「あ」
「……核識の声、っていうもののせい?」
不用意発言。
思わず口を手で覆ったにつづけ、トリスが問うた。
「ああ。ハイネルって奴だ」
答えるヤッファの声には、気負いがない。
「最後まで迷惑かけてくれたよ。今ごろ、どこでどうしてるかは知らないが」
そして、消えることのない親愛がある。
「……ていうか、おまえ、そんなことまで話してたのか?」
ちょっぴり渋い顔になってを振り返るヤッファの気分は、程度こそ違えど、さっきのレシィと似たようなものだろう。
武勇伝ではないが、当人にしてみれば、そう大きい声で広めたいものでもあるまい。それはとて判っちゃいるのだが、
「や、まあ」
ははは、と。返すは乾いた笑い。
「話してるうちに波に乗るってパターン、わりとよくあるじゃないですか」
「ノリで話したのかよ」
がっくり。項垂れる護人さん。
尻尾が、力なく持ち上がって、すぐに落ちた。
「でも……」
胸元に拳を握り、レシィが云う。
「そんなに長い間、ずっと、耐えてこられたんですね」
あきらかな感嘆のまなざしに、ヤッファのほうがうろたえた。う、と零して目がお魚。
誰にも事情を明かさず、傍目ぐーたら生活を続けていた彼は、たぶん生来のそれもあるんだろうが、誉められたりするのは苦手らしい。
だがここで、レシィの審眼を持ち出して逸らそうとすれば、倍返しで持ち上げられるのは目に見えている。
さあ、彼はこれにどう立ち向かうのか。
何故か固唾を飲んで見守る、とトリスの目の前で。
「誇りがあったから、かもしれねえな」
意外にも――たぶん茶化すか曲げるかするだろうとなど想像していたのだが――ヤッファは、虚空を泳がせていた視線を引き戻すと、早口に、そう告げた。
「友の誇り」
そして、
「俺の誇り」
護りたいと。
救いたいと。
楽園たれと願った島を。
楽園たれと願われた島を。
「……譲れねえもののためなら、おまえさんだって、それくらいしでかすだろ?」
「――――」
レシィは、こくり、と息を呑んで、
「はい!」
迷いなく、強く大きく頷いた。
だろ、とヤッファが笑って、大きな手のひらでレシィの頭を撫でてやる。
「……ちょっとびっくりした」
「どうしたの?」
そんな微笑ましい光景を傍目につぶやいたのことばを耳ざとく聞き、問うてくるトリス。
「うん、ヤッファさんて、どこかのらくらした印象あったから」
と、本人に対して失礼な感想を正直に述べるの頭で、
ぽすっ
むしろ至福を与える肉球が、バウンドしたのであった。
当然破壊力などあろうわけもなく、その後ひとしきり、肉球パラダイスが繰り広げられたのは、生憎余人の知るところではなかったのだが。