【そして忘れられた島で】

- パッフェル -



「パッフェルさんは、気づいてたんですか?」
 ――スルゼンで、と紡ぎかけた唇を閉ざし、「ううん」と彼女は仕切りなおした。

「デグレアで最初に逢ったとき――あの光が、“”の持ってたものだと同じだって」

 その問いに、
「いいえ」
 短く答え、パッフェルははんなりと微笑んだ。
 その後「違うものだと思ったんです」そう続けた。


 パッフェル=ヘイゼル。
 島の者たちは、この図式をいともあっさりと受け入れた。そのうえで、来客として時折明るい皮肉も織り交ぜつつ扱ってくれている。
 それは、レックスやアティ、先生たちによる力も大きかろう。
 また、“”と共に訪れたという現実も一助となっているはずだ。
 ともあれ、今、パッフェルは大手を振ってこの島を歩いている。挨拶を交わし、ことばをやりとりし、微笑みあってさえもいる。

 ――紅き手袋の一員として訪れたあの日とは、正反対の在り様だった。

 そんな優しく穏やかな時間の一部を今、パッフェルはこうして)と向かい合うことで過ごしている。
 記憶にある光景よりも、さらに苔むし古びた遺跡の残骸に囲まれ、ふたりは適当な距離を保って腰かけていた。
 ――何も知らなければ、ただ、こんな建物もあったのか程度で済む遺跡群は、だが彼女らふたりにとっては何かと因縁濃い場所だ。

 ここは、彼女らが“初めて出逢った”場所そのもの。

 紅に染まった空、赤く濡れた大地。
 ――そのただなかで対峙した。ヘイゼルと

 厳密に云えば、初対面の時間が存在しませんよね。そう指摘してみたところ、じゃあ一番古い時間のを初対面ということで。と、暫し考えたのち彼女は云った。
 つまり、あの日あのときこの場所での邂逅が、そうなるわけだ。
 そうしてその場所で――ここで。
 パッフェルは、疑問符を浮かべる彼女のために、微笑みながら答えを告げていく。

「たぶん、私以外ではバルレルさんやレイムさんあたりしかご存知ではないと思うのですよ」
 何を?
さんの顕現させてらした白い光――あれがその輪郭を少うしずつですね、変化させていってたことです」
 輪郭?

 その変化をなんと云おう。
 少し考えて、思いつく。
「陽炎が、焔になっていった。そう申し上げればよろしいでしょうか」
 ――焔。
 ぱちくりとまたたく、夜色の双眸。
 疑問符は薄れ、納得の感がそこに広がっていった。
「そっか」
「ええ」
 の意志で喚ぶにつれ、最初こそくだんの彼女がかつて用いたような陽炎を模っていた力は、徐々に、の意に応えるかたちとなっていったのだ。
 メイメイから聞いたことだが、他に唯一このちからを扱った人間――イスラに応えたときには、薄霧のようであったという。喚び出す意志に応じるちからなのだから、使い手の在り様にも影響されやすいということなのだろう。
 陽炎。
 焔。
 薄霧。
 源は同じ、でも、かたちは違う。意志が違う。
 なぜならまったき同じ意志を抱くふたりなど、存在し得るわけもないからだ――かつてふたりであった碧の賢帝の継承者にしても、色彩こそ変貌すれ姿までも同じにはならなかったのだから。
「私が、ここで見たのは」、――目を閉じる。瞼の裏に今も灼きつく、「真っ白い焔の猛りでした」
 ……
「デグレアでは、陽炎のようだと思ったんですよ」
「それはそうですよね……」
 自覚もへったくれもなしだった、ただ生命の危機という本能的なもので偶然に開いただけだったろう道を辿って現出したそれは――まだ眠っていたという彼女の存在に導かれた部分も大きく、故にこそ、そのかたちであったのだ。
 でも、色だけは変わらない。
 白く真白く、何者も冒せぬまったき輝き。
 だから記憶に強く残り、聖王都での再会に結びつけられた。
「二度目はスルゼンでしたね」
「あれが自覚した最初でしたっけ」
 デグレアのときは、まったく別の要素によるものだと思ってたそれを、自らに起因するものだと彼女が認めたのがスルゼンでの折。
 我ながら良い手でした。
 お茶目な感じを出して云うと、「くどいようですが命の危機を感じたんですけど、あたし」ジト目で見上げられた。
 それから幾度かの現出を繰り返し、見ていくうちに変化に気づいた。

 陽炎から焔へ。
 清冽から苛烈へ。

 ――ああたしかに。それこそ彼女に、“”に相応しいと。

 そんな、ただ単に重ねて懐かしがっていただけの記憶にトドメを刺したのは、ではなかった。
「……まさかミモザさんが起爆剤であったとは、ですねえ」
「しかも電気ウナギすら自業自得なあたしっていったい何なんですか」
 かの占い師はこう云う。
 いくらすべての可能性がその方向を示していたとしても、最終的に向かう道を決めるのはそこを歩いている誰かの意志。
 となれば、因する何もかもは基本的に自業自得とも云える。
 の嘆きは単に、それが、自業に大きく傾きがちに見えるところによるのだろう。

 ――ぽん。

 たった三時間で伸びた(実際には数ヶ月経過してるが)焦げ茶の髪に、そっと手のひらをおいて動かす。
 母親のようだとおかしく思って笑みを深めたパッフェルを、が見上げた。心地好いのかくすぐったいのか、僅かに弛んだ口許や細めた眼が実にかわいらしい。――少女と云っても通じそうな彼女は、だが、同時にれっきとした剣士でもある。このギャップもまた、おもしろい。
 パッフェル自身、二足以上の草鞋と顔を使いこなすだけに……いや、人間誰しも、多彩な面を持っているものではあるのだが。

 そうしてそのなかのひとつ、“ヘイゼル”であった己のままに、パッフェルはを見つめて口を開いた。
「――なんだか、ばたばたしていてまともに云えていなかった気がするので、今、云ってしまいますね」
「はあ。なんでしょう?」
 ……伝えたかったことばがあった。
 レックスのようにアティのように――最後に残った核識の名残、彼のように。またはサイジェントで“フラットの味方”に関った彼らのように。

「“ヘイゼル”は、泉でお別れしたあの日、皆さんに、ありがとうって云いたかったんです」
「――――」

「……ありがとうございますね」

 “またきっと”
 “きっとよ”

 “きっとまた逢います”

 気づかずに行ってしまったレックスとアティの分まで補うかのように、確り、強く、断言してくれたのことばは、何より強くこの胸に在った。

「……あ」
「あ?」
「改まって云われると、――照れますね」
「ふふ」
「わ!」

 照れ隠しの笑みを浮かべるを、パッフェルは思わず抱きしめる。
 窒息しかけた誰かが、圧倒的なボリューム差にほんのちょっぴり落ち込んだのは、また別のお話だった。


 もヘイゼルももういない。
 とパッフェルが向かい合う。
 遺跡の眠る高台は、あの日と同じで違うふたりを抱いて、静かに風をそよがせていた。