【そして忘れられた島で】

- 叔父と姪 -



 まさかまさかと思ってたけど。
 彼女は、苦々しげにそうぼやいた。

 偶然って怖ぇよな。
 彼は、呆気にとられてつぶやいた。

「「――あのさ」」
 ふたりは、同時に相手を指さした。

「アンタ、ファナンって街を知ってるかい?」
「おまえさん、ファナンにある道場に縁はねえか?」

 ……

「「やっぱりか……」」

 金髪の格闘家ふたりは、互いを指していた指を、同時におろしてつぶやいた。
「……やっぱりか」
 ちょっとだけ込める意味合いを違えて、合間で見ていたもまた、ぽつりと小さくつぶやいた。頭に乗っかったプニムが、「ぷ」と感嘆込めて一鳴き。
 その後、冒頭の発言が、モーリンとカイルからなされたのである。


 船に乗ってるときだった。
 モーリンが、ふと云ったのだ。
 どんな話の流れでそうなったのか、きっかけは些細なことだったように思うけど、そのへんは記憶も薄い。
 ただ、モーリンには叔父さんがいるんだと。
 その叔父さんは、もうずっと幼い頃、海に憧れ姿を消して、それっきり。お兄さんであるモーリンのお父さんは、弟の消息を知ることもなかったんだと。
 そうしてその話を聞いたとき、の頭にぽんっと浮かんだのが、カイルだった。
 何度か手合わせ付き合った際に思ったのだが、彼の型は我流ケンカ殺法ながら、何故か、にとっては相手取りやすいものだったのだ。単に相性がいいんだろう、と、そのときはそんなふうに考えていた。
 が。
 なんだかモーリンがそう話したとき、かちりとピースがはまったような、そんな閃きが舞い下りたのだ。
 で、こうして落ち着いてから改めて、引き合わせてみた次第である。
「……だからってホントに大当たりだとは」
 実行した当人が腕組みして現実の奇抜さに感心するその横で、
「ぶー」
 口癖は相変わらずらしいカイルの妹――ソノラが、不満そうに唇をとがらせていた。
「どしたの?」
「ぶーぶー」
「ぷーぷー」
「いい歳こいてまだ云ってんのかって云われない?」
「いいの! それがあたし!」
「開き直るな。あとプニム、真似るな」
「……直してるよー。努力してるもん」
 つまり矯正真っ最中、と。
 ン十年経っても、こんな突発的に出るのなら、こりゃ一生付き合うしかないんじゃなかろーか。
 などと失敬なこと考えるの方を、だが、ソノラは見もしない。
 顔も知らなかった叔父と姪の対面を、不満と不安が混じった表情で、じっと見つめているばかり。
「……」
「恋?」
「バカー!」
 茶化すなー! と怒鳴るソノラの声は、結構大きい。
 その後ぽかぽかとを叩く拳骨の音も、それなりに響いているのだが、カイルとモーリンは、さっきお互いの確認をした姿勢のまま、ぴくりと動こうともしない。
 一応距離を置いてるとはいえ、とソノラが場にいるのはふたりとも知っているはずだし――これは、相当驚いたんだろうな。やっぱり。こんな絶海の孤島で血縁に逢うなんて、それこそとんでもなく低い確率だ。
 じゃれる、もとい、一方的に攻撃するソノラと一方的にそれを受けてるを、ちらりとカイルが見やった。何やってんだ、と呆れた顔。
 攻撃に気をとられてる――というか、攻撃で気を逸らしてるソノラは、それに気づかない。
 つづいて、モーリンもたちをちらり。彼女は少し肩をすくめて、しょうがないねえ、と、呆れはせず。浮かべた表情は、お姉さんめいたあたたかさ。
 あ、やっぱりモーリンも気づいてる。
 彼女の表情が持つ意味を、が読み取ったのと同時、
「親父が、死ぬ前に云ってたんだ」
「……死んだのか、あいつ」
 モーリンは視線をカイルに戻し、懐かしそうに話しだした。
 放り投げてきたといっても血縁は血縁なのか、カイルの声も、心なしトーンが低め。
「そりゃ死ぬさ。アンタやみたいに、素っ頓狂な事件に巻き込まれてない平凡無害な一般人生だったんだからね」
「そこであたしを引き合いに出さないでー!」
「ああ、そりゃそうだな。オレらだって、先生らに逢わなけりゃ今ごろとっくにおっ死んでたかもしれねえし」
「そこでわたしたちを引き出さないでくださいっ」
「ほらアティだって云って……、へ?」
 視界の端にさらりと揺れる、艶やかでふわりとした赤い髪。
「いつの間に!?」
「じ、実はどうしても気になってしまいまして!」
「あ! やっぱ先生も気になるよねっ!? あたし、どうしようって……!」
 が思わず飛び退いて出来たスペースに転がり込んだソノラが、そのまま、出現したアティに抱きついた。
 ――あー。
 そういやあれだ。カイルとアティってあの頃から――ごにょごにょ。
 母親役として、是非慶事にはお呼ばれしたいものだが、果たしてそんな日は来るのだろうか。とっくに通り過ぎてたりして。確認してないけど。
 いやいや閑話休題。
「あ、それは心配ないですよ」
 ソノラを優しく抱きとめたアティは、安心させるように微笑んだ。
「え?」
「わたしが気になったのはですね」、
 彼女の不安を払拭し、かつ、己の懸念を明らかにしようとしたアティのことばに重ね、一旦途切れていたモーリンのことばが再開される。

「親父は――いなくなった叔父貴のこと、やっぱ気にしててさ」
「……おう」
「俺が死んだあと、もし、あいつに逢うことがあったら」
「あったら?」

 ――ざあ、と、潮風がその場を吹きぬけた。
 流したままのアティの髪、そして頭の上で結わえただけのモーリンの髪が、ひときわ大きく巻き上げられて、金色と赤色の軌跡を描く。
 そうしてそれがおさまったとき、
「とりあえず」、
 聞こえたのはモーリンの声。そして誰かが地を蹴る音。
 見えたのは、
「一発殴っておけ、ってさ!」
 カイルめがけて突進するモーリンと、それを迎え打つために腰を落とし、足を開いたカイルの姿――!
「なっ」
 たぶんファナンへの帰還を持ち出されるとか何とか思ってたんだろうソノラが、ぎょっと目を丸くするその両側で、とアティは顔を見合わせ、
「「やっぱり」」
 見事な予想的中に、へらっ、と笑いあったのだった。


 ――ちなみに。
 カイルVSモーリンの試合の様子を一言で云うなら、
「夕暮れのケンカ番長大決闘」
 っていうのはどうだろうか。

「好きに云っとくれ」
「その前に、番長ってなんだよ」

 ふたりがやりあっていたのは、果たしてどれくらいだったか。
 見ていただけのたちにしてみれば、そう長い間でもなかったように思えるが、当人たちにとっては、おそらく数時間以上という感覚だろう。
 とにかく一発入れようとするモーリン、させてなるかと躱すカイル。
 たった一撃入れば決まるはずの勝負が長引いたのは、ふたりの実力が遜色ないものであったのだと窺い知れる。
 だが、少々穿った見方をするのであれば、カイルもモーリンも、共に攻撃で押しまくる特攻戦を得意とする性分だ。そして今回、カイルは基本的に逃げへ徹し、モーリンはその本領を発揮していた。
 となると、最後には結局カイルが一撃入れられてしまったのは、その差異によるものがあるだろうことも、無視出来るものではないだろう。
「はっはっは!」
 で、そのカイルは、地面へ仰向けにひっくり返ったまま、豪快な笑い声をあげている。
「――いや――ははははは、強いなあ、おまえ」
「はん、当たり前さ。こちとら小さい頃から親父にいろいろ叩き込まれてんだから」
 ぐしゃぐしゃと、カイルの大きな手のひらがモーリンの頭を撫でて、髪を乱す。
「アニキ何笑ってんのよ、も〜」
 そんな兄の傍にぺったり腰を落としたソノラが、盛大なため息をついた。さっきの懸念はまだ消えていないのか、ちらりとモーリンに目をやって、
「一発入れたらファナンに連れてって道場継がせるとか云うんだったら、どうするつもりだったわけ」
 詳細は知らないまでも、この場での会話からある程度の事情は推察したらしい。口調には、少し複雑な感情が見え隠れしている。
 だが。
「――――」
「――――」
 云われたカイル、聞いたモーリン。
 ふたりは同時に口を閉ざし、先ほどまでぶつかり合っていた相手を、黙ったまましげしげと凝視した。
 それから、「「――ぶは!」」と。やっぱり同時に噴出した。
 しかも、ことはそれですまない。
「ぶっ」
「ソ、ソノラ、それは……!」
 と、あまつさえアティまでもが笑い出したその瞬間に、ソノラも己の発言が的外れであったことを悟ったようだ。
「え――あ、……あー! もう何よ!? いきなり笑い出して、っていうか、そんなんなら先に説明とかしろよってば――!!」
 しゅた! と取り出された銃の発射口には、プニムがぽーんと跳ねて張り付き、阻止。ナイス相棒。
「あはははは、やっぱ心配だったんだー。いや大丈夫、そんなことないから、どうどうどう」
「おかあさん……今ソノラが荒れてるのって、理由、それだけじゃないと思うんですけど」
「ていうかこんなとこでまでおかあさん云うな恥ずかしいから」
 真顔になってツッコむアティへ、はさらなる真顔をつくって懇願した。
 そんなズレた会話のさなか、いつからか肩を震わせていたモーリンが、「はは……あははははははっ!」
 大爆笑。
「ちょいと、冗談はよしとくれ。道場はあたいが継いでるし、今さらそこの馬の骨に渡すようなもんはないね」
「馬の骨呼ばわりかよ」
 半眼でつぶやくカイル。そんな“叔父貴”をちらりと見やってから、モーリンはソノラを振り返る。
「そういうことさ。あたいはただ、親父の心残りが気になってただけなんだよ」
「でっ、でもさ!? 普通そういうの見つかったらつれて帰りたくなったりとかするもんじゃないの!?」
 万物流転。ちょっと違うか。いざそうなれば反対するだろう立場のソノラが、何故かそんなことを云い、くってかかる始末だ。
 だがモーリンは、そんなお決まりのパターンを軽く一蹴する。
「なんて云えばいいのかねえ……」、目を細めて見上げるは、遥か蒼穹。「生きていく場所がさ、あるんだよ。あたいもも――そこの先生さんも、アンタも、叔父貴も」
「ぷ!」
「プニムもね」
「ぷー」
「あたいはそれがファナンで聖王都で、そんで、アンタと叔父貴は海の上。海賊。そこで一番活き活きしてる素っ首をね、捕まえて陸の上にあげたって、どうせすぐに干からびちまうってのは判りきってるだろ?」
「……でも」
 血のつながった家族なのに。でも、もっと。妹なんだ。兄なんだ。
 途切れたことば以上に雄弁なソノラの視線を受け止めて、モーリンは軽やかに笑ってみせた。
から聞いてるよ。仲良しの兄妹なんだってね」
「――――」
「このとおり、どうしようもない男だけどさ。これからもよろしく頼むよ」
「……モーリン……」
 見つめ合う、金髪の女性たち。
 それを横目に、虚ろな声でカイルがつぶやいた。
「なんか、オレ、自分がすげえ駄目人間に思えてきたぞ……?」
「海賊になりたくて密航なんてしちゃうくらいですしね?」
 くすくす笑ってアティが云う。
「……ってか、そういうのに自分だけじゃなくて妹まで引っ張っていくあたりがどうかと」
「ぷー」
 双方の会話を耳に挟みながら、とプニムはつぶやき鳴いた。
「「……」」
 そこで何故か、カイルとソノラがビミョーに固まった。
 だがそれは些細な変化であったため、その場の誰も気づかない。かつ、誰かが気づくよりも先に、モーリンが呆れの混じったため息をひとつ。
「だいたい親父も親父さ。叔父貴だけじゃなくて叔母殿もいるって、なんで教えてってくれなかったんだか――」
「って待って! 叔母殿って、もしかして」
「え?」
 泡を食って割り込んできたソノラを、モーリンと、ついでにとプニムはきょとんと振り返る。
 ファナンの名物格闘家は、疲れなどすでに吹っ飛び終わってる腕を、すい、と持ち上げまたたき数度。
「だって、カイル叔父貴の妹なら、あたいにとっちゃ叔母殿だろ?」
「ぎゃ――――――!!」何故か絶叫。「やめ、やめてやめてやめて叔母殿なんてかゆすぎる――!!」
 飛び上がって、ことばどおり全身をかきむしりだしたソノラを、たちは呆気にとられて眺めやる。
 その横で、今度はアティとカイルがビミョーな視線を交わしあった。……ややあって、まだ身悶えつづけるソノラを余所に、「あー」とカイルが口を開く。

 ……カイルとソノラが実の兄妹ではないのだと。とモーリンが知るのは、そのすぐ後のことだった。


も知らなかったのかい?」
「だって夜会話してないもん」

「「……何の話だ」」


 そんなやりとりはさておいて、大海原をかける海賊一家は、これからたまーにファナンへ立ち寄ることが多くなりそうな気配ではあった。