【そして忘れられた島で】

- 彼女の名前 -



「……」
「……」
「……」
「……」

 四人の護人に見つめられた彼女は、恥ずかしそうに頬を赤くして、傍らに立つレイムの背に、すささっと隠れてしまった。
「視姦ですか趣味の悪い」
「「「「違――――ッ!!!!」」」」
 半眼になってつぶやいたレイムへ、四人分の絶叫、いやさツッコミが炸裂した。

 ……なんとも、いやんな感じの初顔合わせである。

 いや、正確には初めてではない。
 レックスとアティが島に帰還したあのとき、レイムと彼女は砂浜に着いてきてた。護人たちは、そこで船からおりてきたのだから、お互い、一応顔くらいは見たはずだ。
 ただ、こうして面と向かい合うのが、初めてだっていうだけで。

 今の叫びで肺を相当酷使したのか、少し荒くなった息を整え、ヤッファが改めて、彼女を見やる。
「……あんたが、“守護者”なのか」
 信じ難き、と驚愕の混じった彼のことばに気分を害した様子もなく、彼女はやんわりと微笑んで頷いた。
 ――白凰。白い鳳凰。
 たしか、遠い昔に彼女はそう称されていたのだと。に教えてくれたのは、ヤッファだった。
「わたしのこと、知ってる方がいたなんて。驚きました」
 くすくす、彼女は、そう笑って告げる。
「……いや、なあ……オレたちもオレたちで、いろいろと知る――つーか知らなきゃならなかったしな」
 それはおそらく、護人として、島を守っていく道を選んだときに。
 今はもうない、かの遺跡を利用して召喚術の知識を手に入れるとともに、無色の派閥がデータベースとしておいていたそれらも、手にとらざるを得なかったのだろう。
 ……もう少し楽観的に考えるなら、ハイネルがこっそり教えていた、という説もないではないのだが。可能性、ちょっとどこでなく低い。
 無色の派閥って、本当に、召喚“獣”って扱いしかしないし、場合によらなくてもそれ以下だし。
 まあ、ともあれ、そういうことで。
 佇む彼女を見つめる護人たちの視線は、どこかしら、畏怖を含んでいるように、には見えた。
「……私のほうこそ、驚きました」
 胸の前で手のひらを組み合わせ、ファリエルが、どこか放心したような口調で云う。
「私、フレイズからも聞いたことがあって……伝説なんです。あなたのこと……私、憧れてて……」
 ――まさかそれが、さんの使ってた焔の源泉だっただなんて。
 どうして明かしてくれなかったのか、と、ちょっぴり恨みがましい視線を回避し、視線を明後日に泳がせる
 別に後ろめたくはない。話せることでもなかったし。これはなんというか、条件反射。
「伝説なんて、そんな」
 頬を染めて照れる彼女。
 あーもう、なんだかかわいいなあ。などと思うの傍らでは、少なくとも女性相手ならわりと寛大らしいレイムが、彼女とファリエルのやりとりを、微笑ましそうに見つめている。
 ……まあ、その視線は、一点集中で彼女しか映してないっぽいが。
 なおかつ彼の手のひらは、顔の下半分を覆っていたりするのだが。
 レイムより身長の低いからだと、見上げれば覆われた部分が陰になりつつも見えたりする。
 つー、と。
 流れてる気のする赤いそれに対し、見なかった振りを決め込むかどうか、判断に迷ったときだった。
「私はアルディラよ」
 淡いウェーブがふわりと揺れて、融機人の女性が、守護者に笑みかけた。
「貴女の名前も、よかったら、教えてもらえるかしら?」
「あ、それが」
 他意などない問いに、だが、彼女はなぜか云い澱む。少し、考えるように視線を虚空に彷徨わせ、
「……名前は、すべて、置いてきてしまいました」
「置いてきた?」
 はい。こくりと頷く彼女。
「最初の私が死んだときに、最初の名前も死にました。次の名前も、次の私と共に。……そして、最後の私も、レイムに壊されて、そのときにその名も壊れました」
「ですが、覚えていらっしゃらないわけでは――」
 ないのでしょう。と、キュウマが云うが、彼女はかたくなにかぶりを振る。
「覚えています。ですが、私に名をくれた方々は、私を知らないのです。私は、その方々の懐を発つまで、私という存在を見せませんでしたから」
「……つまり、云いかたは悪いが、転生のたびに持った名は、その身体の所有であって、あんたという意志へのものではない、と?」
「その“身体”だなんて……なんて生々しいッ」
「どういう想像してるんですか、もう!」
 頬に両手を当てるレイムの鼻に、どこからともなく取り出した布を押し付けながら呆れる彼女。
 真面目な話をしているのだから茶化さないの。そう、腐っても元大悪魔をその場に正座させ、云い聞かせている姿は、まるでどこぞの保母さんだ。
 そして、それを素直に聞いてるレイムもレイムである。と、なんぞは思う。
 あのころ、彼にその素直さがあれば、どれだけ事態は楽勝だっただろうか。
「でも、それではさすがに……」
「だなあ。アンタやオマエじゃ、いまいちっつうか」
「ただでさえ、新顔が増えているのだし」
「――少々不便ではありますね」
 うーむ。
 そして、顔を見合わせ唸る護人たち。
 彼らの云い分も、当然と云えば当然。
 一瞬だけの肉体を借りて出てくる、とかいうのではなく、確たる個人としてやってきているのだし、たぶんこの調子だとしばらくはたちと一緒に滞在する気のようだし――
 早い話が、名前がないと不便なのである。
 大人数がたむろってるなかで“あんた”とか“そこの彼女”と呼んでみろ。該当者多数で大混乱必至になること、請け合いだ。
 彼女もそれは判っているのか、「そうですよね……」と、軽く握った手のひらを口元に当て、思案顔。そこでかつての名を使おうとは云いださないあたり、徹底しているというか頑固というか。
 ――って。
「あ」
 ぽん、と手のひら打ち合わせたを、全員が振り返る。
「“”でいいじゃないですか。もともと、このひとを称してるってことだったんですし」
「おや? さん、どうしてそれを?」
 考えてみたら、本当の意味での肉体はないはずなのに、どうやって出してるんだろうか、その鼻血。些少な周囲の疑問もそっちのけ、赤く染まった布を片手に、レイムが首をかしげていた。
 応えて、は「……あはは」と苦笑い。
「すいません。時間旅行中で本名名乗れなくて困ってたんで、バルレル共々偽名使ってたんです」
 まあ、由来自体はこの島に着いてから教えてもらったのだが。そこの獣人さんから。
「ははあ。魔公子が云い出したのですね」
「そうです」頷いて、ちょっと嘆息。「そんな由来だって知ってたら、辞退したんですけど」
「それは構わないけど……もう、バルレルったら、相変わらず子供ね。ちゃんと話さなきゃ駄目じゃないの」
『……』
 齢数千年とも云われる悪魔たちの王、それを子供呼ばわりする彼女は、やはり大物であった。
「そうですねえ。人のネーミングをパクるなんて最低ですよ」
『……』
 レイムに最低なんて云われた日には、いかなバルレルといえど浮かばれまい。
 かなり失礼なことを考えて視線を泳がせるの耳に、「そうね」とアルディラの声。
「貴女がそう名乗るのなら、私たちは構わないわ」そう云って、ラトリクスの護人は、ちょっと悪戯っぽく笑ってみせた。「馴染みもあることだし、ね?」
 最後のセリフと転じた視線は、かつてそう名乗っていた誰かに向けて。
 はは、と、それを受け、はも一度苦笑い。
「しばらくは混ざっちゃいそうですね」
 くすくすと、ファリエルが云った。
 とはいえ、ヤッファもキュウマも、特に異論はなさそうだ。
 彼女とレイムに至っては、元々本家ということもあって「そうですね」「そうしましょうか」と顔を見合わせ笑みあっている。

「……だがよ」

 はた。
 不意に何かに気づいたように、ヤッファがぽつりとつぶやいた。
「マルルゥの奴は、どうする」
『……』
 人の名前を覚えない、その特徴で呼称する、ユクレス村の妖精さん。そう。彼女は、二十年前の当時、を“”と呼んでいた。名前ではなく、その由来からである。
 だがしかし。
 ここにという当人が現れた場合、それを適用するにはいささかでない難が出る。
『……』
「?」「?」
 顔を見合わせる護人たちと、疑問符浮かべる、事情を知らない大樹のふたり。

 ――ややあって。
「ヤッファ殿」
 おもむろに、キュウマが、ヤッファの両肩に手をおいた。

「マルルゥ殿の再教育は、貴方に一任します」

 さて。
 結果は果たしてどうなったのか。
 けれどそれはまた、別の話。

 とりあえず、白い陽炎抱く彼女は、忘れ去られた島において、“”と定まったのだった。