機界集落ラトリクス。
そのそこかしこには、集落で稼動する機械たちのためのエネルギー供給源――たとえばオイルだとか電気だとか――である装置が、設置されている。
無尽蔵というわけでもないのだろうが、今現在は供給量も潤沢。遠いいつかにはかつての街並みを再び作り上げるのかもしれない機械たちが、今日も、そこで各々に適合したエネルギーを補給していく。
「ヴァルゼルド!」
――そして、彼もまた、そこにいた。
ぽかぽかとした陽気が降り注ぐ一角で思う存分日光浴を楽しんでいた青い機械兵士は、呼びかけに応えて目を数度点滅させた。
それから、がしょ、と、聞き慣れたごっつい駆動音とともに右腕を持ち上げる。
「おお、殿」、それから――と、続けて見回す視線は、その後ろに立つふたりの人物へ。「ルヴァイド殿にイオス殿であられましたな」
こんにちはであります。
身を起こし、礼儀正しく腰を折る機械兵士を見慣れぬ後者ふたりは、ちょっぴり戸惑う表情を見せ――それ以上に色濃く、懐かしさをもってその機体へと頷いてみせたのである。
ルヴァイドとイオスがこの場を訪れたのは、他でもない。
大切な盟友だったゼルフィルド。彼のコアを継承したヴァルゼルドに逢いに来たのだ。
まずそう説明すると、ヴァルゼルドはちょっぴり申し訳なさそうに、また頭を下げた。
「申し訳ないであります。ゼルフィルド殿のコアは――」
「記録消えたとかいうことなら話してるよ」
「……さようでありますか」
ことば半ばにして遮ったのそれに、がしょん。肩を落とす機械兵士。
「随分と、人間臭い仕草をするんだな」
それを見て、イオスが感心したようにつぶやいた。
彼らの記憶にある機械兵士は、こうも流暢な話し方をしなかったし、ことばの抑揚も平坦だった。動作にしたって、今のように肩を落としたり誰かにお辞儀をしたりなんて見たこともない。
機械兵士は戦争兵器。
そのために造られたのだと彼らは云い、戦場における働きぶりはまさに、その証明でもあった。
「ああ、いえ」、
ヴァルゼルドは、ちょっと考えるように間を置く。
「自分はバグでありますので。おそらく、本来の機械兵士用プログラムをかなりの割合で書き換えているのでありましょう」
アルディラ殿の検証でも、はっきりとは云えないまでも従来の機械兵士に見られる挙動とは差異があることが判明しております。
「ふむ……ロレイラルに詳しくはないが、そういうものなのか」
納得したように頷くルヴァイド。
ロレイラルに詳しくないと云えば、訪れた三人が三人ともそうなのだが、そういうものなのだとヴァルゼルドが云ってるのだから、そうなのだろう。――とまあ、ニュアンス的にはこんな感じで、とイオスもそれぞれうなずいた。
それからは、他愛のない世間話。
話題は主に、ゼルフィルドのこと。
ヴァルゼルドは彼のコアを継承したとはいえ、その記録をすべてデリートした状態で組み込まれたため、共有しているデータは皆無だそうだ。本人曰く。
青い機械兵士に促されるまま、ルヴァイドとイオス、は、覚えている限りの黒い機械兵士のことを話していった。
ふむふむとうなずく。
「武装と戦闘ルーチンを取り上げるなら、自分とゼルフィルド殿の型は比較的近いと思われます。制作時点による技術の差異はありましょうが」
楽しそうに肩を揺らす。
「それはそうであります。機械兵士に、子守りプログラムは本来付随しておりません」
誇らしげに胸を張る。
「そこはゼルフィルド殿の学習機能によるところが大きいと判断するであります。殿のために、守護や護衛用のプログラムを応用したのでしょう」
ぐっと手のひらを握りしめる。
「勿論であります。自分たちがどなたかにお仕えする場合、それは、その方の向かう百の戦に百の勝利をもたらすためであります」
動揺して、がきっと軋む。
「え!? いやいやいや、自分は戦いを好むわけではないであります! 現に今の日々は、とても好ましいものでありますし」
ははは、と、快活な笑い声。
「ゼルフィルドもそうだった。天気のいい日なんか、人が射撃兵相手の訓練を約束してたというのにほったらかして、一日中日光浴していたことまであるんだぞ」
紅い双眸を楽しげに細めて、イオスはそんなことを暴露する。
ちなみに、待ちぼうけを喰らわされてしまった彼は、腹を立ててゼルフィルドを探し当てた。が、燦々と注ぐ陽光の下、小さな鳥や獣に囲まれて静止している機械兵士を見て脱力したらしい。
拳骨で殴ろうとまで思っていたそれは、結局、槍の石突で小突く程度になったらしい。もっとも、人間の手と機械兵士の装甲を考えれば、双方のために良いことだったんだろうが。
「そんなことあったの?」
「ああ。本当にしょうもないことだったから、話す気にもならなかったんだけどね」
「その手の話なら、わりとあるな。――あれもあれでなかなか、戦闘兵器というだけで片付けられない性質だった」
もっとも、それはがやってきてからのことだったが――そう云ってルヴァイドが告げたのは、ゼルフィルドの変化。
たとえば、滅多になかったことだが、彼が城内を歩くときの足音。それまではけたたましかったそれが、徐々に小さくなって最後には常人と変わらぬほどになったとか。ついでに器物破損も減ったとか。
戦闘訓練の際、力加減が出来ずに相手を瀕死にしてしまうことが少なくなっていったとか。
……単に日光浴するにしても、陽だまりを好むようになったとか。
それは本当に些細な、だけど優しい変化。
「――そうなのであります」
聞き終えたヴァルゼルドが、しみじみとつぶやいた。
「人間である皆様はさることながら、我々もまた、環境次第でいかんとも変わっていく余地はあるのでありますからして」
この意志と。心。
こうして誰かと向かい合い、ことばを交わし気持ちを交わす。
それが出来るなら。そう出来るから。
……だから――
「そういえば」
ふと、イオスが何か思い出したように、ヴァルゼルドを振り仰ぐ。
「から聞いたぞ。自分の人格を消そうとしたんだって?」
「――殿」
ちょっぴり恨めしい口調で呟くヴァルゼルド。ついでに向けられた目の光を正面から受け止めて、は、へらっと破顔する。
「実況中継風に再現してみました」
「殿おおぉぉぉぉ」
やっぱし、相当恥ずかしいらしい。
ちなみにだって恥ずかしい。
勢い任せでカタチにしてしまう気持ちほど、正直で、本音で、偽れなくて――だから、後で思い返すと何云ってんだ自分、な気恥ずかしさが怒涛のように襲ってくるもんなのである。少なくともは。
だからして、自分から自分の経験したことを話すことは少ない。この島で体験した事件にしても、極力私情は排して皆に説明してる。
――ただ。
ただ、どうしても。
この青い機械兵士と出逢い、思い、そして遭遇した出来事だけは、ルヴァイドとイオスにだけでも、一部始終伝えておきたかったというだけのこと。
だって、出逢わなければきっと、進めないでいただろう。
この島で起きた事件を終えたとしても、あの瞬間を越えることが出来ないでいただろう。
それこそ時間に委ねてさらさらと優しくなるまで、あの時代で過ごす羽目になったかもしれない。
「いや、別に笑ってるわけじゃないんだが」
「目が笑っておられるでありますー!」
ちなみに声音も楽しそう。
そんなイオスにくってかかるヴァルゼルドを微笑ましく見つめるは、ルヴァイドと。
養い子をちらりと見たルヴァイドは、そんなヴァルゼルドへ声をかける。
「何かの手違いで生まれた人格としても、おまえはおまえだ。本当にどうしようもない瞬間まで、在りつづける権利と義務を放棄せんようにしてほしいものだ」
「はっ!」
上官の貫禄たっぷりに告げられたそれへ、ヴァルゼルド、とっさに身体が反応したらしい。
ビシィ! と指先までばっちり決まった敬礼とともに大音声で答えてみせる姿を横目に、イオスがぽつり、
「――まあ、も、この島の皆も、そうはさせないだろうけど」
「まさにそのとおりであります……あの折の殿の貫禄、お二方にご覧頂きたいほどでありました」
「そうなのか?」
うん? と。ルヴァイドが僅かに身を乗り出した。訊いてくれるなと袖を引っ張るを、多分に意図して黙殺し、
「俺たちは、言を尽くして誠心誠意、おまえを説得したと聞いていたが」
その問いかけが終わるよりはるかに早く、
「殿――――!」
「あははははははっ☆」
こりゃもうごまかしきれないわ、そう判断したは、自分のことだけ棚上げしてんじゃないとばかりのヴァルゼルドの絶叫半ばにして、晴れやか朗らかに笑ってみせた。
まだイオスの方を向いていた機械兵士の体躯が、ぎゅりっとへ向き直る。
さすがにあの剣幕で襟首とっ捕まえられたら死ねる。
ごっつい手が伸びてくる前に、はとっととその場から退避。目標を失ったヴァルゼルドの腕は、空しく瓦礫を蹴散らした。
付近にいたルヴァイド、照準から外れたイオスも、何気に巻き添えくらいそうな位置から退避していたりする。
そのまま――赤紫さんと金色さん、ふたりが見守るその前で、とヴァルゼルドは周辺の物体に多大な被害を出しつつ追いかけっこを開始したのであった。
――それは記憶。
遠い遠い、懐かしい。優しく、そしてあたたかく。
再現ではなく繰り返しではなく。
新しくやってきた場所で、新しく得た光景が。
遠く遠く、遥か昔の思い出を、静かに優しく揺らして包んだ。
「ルヴァイド殿」
――そして、別れ際。
また訪れると約束し去ろうとした赤紫の髪を持つ男性の背に、ヴァルゼルドは声をかけた。
「なんだ?」
足を止め振り返る彼の前方では、疲れただの眠いだの、あれだけ走り回れば当然だろうだの、そんな微笑ましい会話を交わしつつ進んで行くふたりの姿。
金色の髪と焦げ茶の髪。
それは、ルヴァイドにしてみれば、見慣れて見飽きぬ大切な光景なのだろう。
――傍らに。黒い機械兵士。
姿も形もすでになくとも。心と思いは彼の傍らに感じられる。
……願ったのだ。
なくしたくないと。
ルヴァイドにとって、かのふたりの姿がそうであったように。
ゼルフィルドにとって、この三人の姿が、そうであったのだ。
……願ったのだ。
まもりたいと。
……定めたのだ。
その身を。そして何より、彼らが彼らたるその心を。
失われた数多の同胞。
人から鬼に堕とされた魂。
自失した。
命さえ省みず突撃したルヴァイド。
凍りついていたイオス。
動けずにいた、その場の誰彼。
――かの男が魔力を高めていたことを、察したのはゼルフィルドだけだった。
機械兵士故。
機械であるからこそ、喪失に心は凍りつかず、その機能は周囲の状況をあますことなく把握していた。
受け止め、防御しきれるか。――否。
三人は守れただろう。
だが、あの場全員を、レイムの攻撃から守りきるだけのすべはなかった。
ゼルフィルドにとって、この三人が、そうだった。
ならば三人だけでよかった。――否。
彼らが彼らである心は。
とくに。がである礎は、すでに、自分たちだけではなかったのだから。
……願うのだ。
機械兵士でも。
機械だからこそ。出来ることがあると知っていたから。
機械兵士はその装甲もさることながら、攻撃力に重点をおいて設計される。
それは、あるひとつの理念に基づいていた。
――――攻撃こそが最大の防御。
自爆装置などというものがあるのも、ひとえにそのためだ。
そうしてそれが、機械兵士の行ない得る最強の攻撃手段。
――だから――
声をかけたきり動かぬヴァルゼルドを見ているルヴァイドの首が、少しかたげられた。
「どうしたのだ?」
「あ。い、いえ」
慌てて両手を振ると、がきがきとぎこちない音。
関節部の油が古くなっているらしい。後でメンテナンスをお願いしようと分析しながら、ヴァルゼルドは心なし身をかがめた。
が見ていたらば、内緒話の体勢だ、と評したかもしれない。
「焼きついていた光景があるのです」
それは記録という形ではない。ただ、強く強く回路の一箇所に灼きついた――焦げ付いた、一種の不良部分。
明確な。映像。
「……?」
「アルディラ殿の処置でも消せなかったと思われます」書き換えも消去もならぬほど強く、遺された一欠片。幸いにそれは、本来の作業を阻害するものではなかった。「――コアの中核に強く、強く、灼きついたモノを、自分は見ました」
「……」ごくり、と、ルヴァイドの喉が上下する。「それは」、
はい。ヴァルゼルドは、相手にぶつからぬよう小さくうなずいた。
「ゼルフィルド殿の記憶であります」
それは穏やかな陽光の下。
優しく笑う赤紫の髪の男性、金髪の青年。――今よりも若い。
元気に手を振る焦げ茶の髪した少女。――まだ幼い。
様々な表情を見せている、数多の人々。鍛えられた体躯はおおよそ等しく。
……願ったのだ。
ただ、それを。その笑顔を。あなたたちを、まもりたいと―――
ルヴァイドの姿が後方にないことに気づいたのは、だった。
「あれ」
「あれ?」
足を止め、振り返った彼女の視線を追って、イオスもまた目を転じる。そこには元気に枝葉を繁らせる木々や、茂みがあるばかり。
てっきり後ろから来ているのだろうと思っていた、ルヴァイドの姿をそこに見ることは出来なかった。
「どこかで転んだとか」
「あの方が? ――ヴァルゼルドと何か話してるんじゃないか?」
すっとぼけたことを云うの頭を軽く叩いて、イオスは、たった今辞してきたばかりの機界集落を指さした。もっとも、すでに木々の向こうとなってしまったそれを、ここから見ることはかなわなかったが。
「待ってよっか? 呼びに戻る?」
の提案に、少し考える。
今現在の状況は、ふたりきりだ。せっかくの。
どうせすぐにやってきそうな予感はするし、このまま待っていたい気持ちは強い。
「すぐに来るよ。道は判ってるんだし、ここで――」
「あ! 来た!」
「……、ほらね」
待っていよう、と、紡ぎそこねた口を一瞬閉ざし、イオスは、ほんの少しだけ落胆して微笑んだ。
そう早足で歩いているわけでもないのに、茂みの向こうに見えた姿はずんずんと近くなる。一歩一歩の幅が大きいのだ。
「ルヴァイド様」
やってくる養い親へと、が駆け出した。
やれやれ。一歩遅れてイオスもそれを追う。
「すまん。少しヴァルゼルドと話していた」
何してたんですか、とが訊く前に、飛び込んできた養い子を受け止めたルヴァイドが云った。
「何かあったのですか?」
「いや、他愛のない話だ」
たとえば、おまえがどのようにして奴を“説得”したのか。
「げっ!?」
少しからかうような声とまなざしで見下ろされたは、おおよそ成人間近の女性にあらざる悲鳴をあげて硬直する。
……他の人間ならいざ知らず、彼女の“説得”がどのようなものかある程度予想のつくイオスにしてみれば、その真相も、ああやっぱりか、と思うくらいのものでしかないような気がしているのだが。
などと思われているとは知らぬが、ふるふると拳を震わせてうめく。
「……ひ、人の恥を……!」
「極太のケーブル類をロープとして代用したのはいい発想だな」
「云わないでルヴァイド様――――!!」
てゆーかそんなことまで話したのかあの青ロボは――――!
木々を震わせ轟く絶叫。
顔を真っ赤にして吼えたを、ルヴァイドは面白そうに見守っている。……最近、人をからかう楽しさを覚えたらしい。困ったものだ。
さすがに呆れざるを得ない。
さて、暴走一歩手前のを、どう宥めるべきだろう。――とりあえず、好きに吼え終わるまで待ってみるか。
腕組みして待ちの姿勢になったイオスの視線は、意図してかせずか、真っ直ぐへ。
そうして、恥ずかしさをどうにか振り切ろうと悶えまくっているの目は、目の前の光景なんぞ映しちゃいない。
だから。
ルヴァイドの目じりに僅か残る湿り気に気づく者など、この場にはいなかったのである。
そうして思う。
「少々」
語る。この場に――もうこの世界にはいない相手へ。
「……いや、とても羨ましいであります」
ゼルフィルド殿。
姿知らぬ同胞の名を、そよ風よりも小さな音声でつぶやいた。
お見せしましょうかの自分の問いに、頭を左右に振ってみせた男性と、その傍らで微笑む焦げ茶と金色のふたりを思い浮かべながら。
「いやいや!」
そしてすぐ気を取り直す。
「まだ自分はこれからであります! いつか、ゼルフィルド殿が得た以上の主を得てやるのであります!!」
「……」
メンテナンスの最中、不意に奇怪なことを叫びだした機械兵士を見つめるアルディラとクノンのまなざしは、冷ややかを当惑が上回っていた。
「ねえ、ヴァルゼルド」
「はっ!」
それでも、呼びかけに反応するのは機械仕掛けならではのかなしさといおうか。人間ならば我を忘れて周囲が見えなくなるということがあろうが、ここにいる者たちはそういったこともない。
元気に応じたヴァルゼルドへ、クノンが、慣れた仕草で何故か空中裏拳をキメながらツッコんだ。
「――貴方の主は、経緯と現状を鑑みるに、様ではないのですか?」
「……は!!」
やれ、主の可否はさておいて。
かの養い子は、果たして、青い機械兵士の望みどおり、黒い機械兵士の仕えた養い親を、あらゆる意味で越えることが出来るのか。
それはまあ、遠い明日の判定待ち、というやつである。