【そして忘れられた島で】

- 両手の華の思惑 -



 男性が二人以上の女性を引き連れて歩いていることを、“両手に花”という。
 女性が華やかなことを示すのでもあるし、男性が欲張りだとか見栄っ張りとか、そんな揶揄も含んでいる。

 だがしかし。は思う。

 男性が華やかなのはそのとおりだが、自分はどこをどう引っくり返したって何がなんでも絶対に、こんな欲とか見得とかなんざ、欠片も要りはしないのにと。
 ゆえに。
「――ああもう、ふたりとも煩い!!」
 タイミング最悪に遭遇すると同時、いったい何を考えているのか、即座に彼女を間に挟んで云い争いはじめたふたりを怒鳴りつけ、はその場から戦略的に離脱した。

 ――早い話が逃げ出した。

 つまりこれからこの場で起こりうるお話は、一切、の預り知らぬところである。


 さて。
 すたこらさっさと逃げ出してしまった彼らにとっての華であるところの彼女を、だが、彼らは追いかけたりしなかった。
 互いに互いを牽制していたというのも事実だが、それ以上に彼らには、思うところがあったようだ。
「……かのレヴィノス家の嫡子に敬称も付けないのは、かつて志を同じくした者として後ろめたいものがないわけではないが」
「気にしなくていいよ。僕はもう、レヴィノス家にしてみれば死んだ者ってことになってるからね」
 生真面目に、だが渋々という態も強く告げるイオスに、イスラは軽く肩をすくめる。
 どことなく強気、挑発するような口調は、かつて道化の仮面をかぶっていた彼を知る者がいたら、往事を思っていたかもしれない。
 けれどイオスはそれに類する者ではないので、「そうか」と、応えるように、こちらも肩をすくめてみせた。にじみ出るものもまた、相手と似たり寄ったりな感情の発露。

 ――気にいらねェ。

 まあ、具体的に云えばこんな感じである。
 あからさまに感情を露にするほど幼くもない彼らだが、だからと云うべきか、各々から発される雰囲気は“険悪”の一語に尽きた。
 真紅と黒灰の双眸が、火花を散らしてぶつかり合う。
「――訊こう訊こうって思ってたんだけど」
 先手を打ったのはイスラだった。
「君、の何なの」
「婚約者だ」
「嘘!」
「ああ」
 しれっとぬかしてさらっと躱したイオスを見るイスラの視線は、それはそれは極悪であった。
 出来るものなら今にも魔剣ぶちかましそうなイスラを一瞥し、イオスはほんの少しだけ、口許をゆるめる。
「――家族だよ。今は」
「…………っ」
 それは、積み重ねてきた年月分。含めた重みと想いの深さ。
 大好きな家族なのだと。いつか云っていた彼女。
 そんな彼女以上に強く優しく――髪一筋も揺るがぬ、揺るぎようのない、確固とした感情。
 目を逸らそうにも出来ないほどに判り易すぎる発言と発露に、イスラは悔しげに唇を噛んだ。
「――僕だって」、
「ん?」
「君が赤ん坊くらいの頃から、のこと知ってたんだから!!」
「…………」
 そういえば、と、イオスの視線が天を仰ぐ。
 この島で起こった、くだんの事件。それは二十年前の出来事だったという。そうして、眼前の彼と、逃げてった彼女が出逢ったのがその頃なら――いわずもがな、というやつだ。
 ……想ってた時間だけは負けない。
 そんな感情も露に睨みつける視線を、だから、イオスは真っ向から受け止める。

 ふたりとも、贔屓せずとも見目麗しい男性であったが、そーいうふうにしてるとやはり、暑苦しいことこのうえない。
 誰かさんがいたら蹴り入れて熱を冷まさせたかもしれないが、その誰かさんがいない今、他者にそれを望むのも、また酷というものだった。

 だもので、一触即発の空気はこの次の瞬間まさに飽和――
「……君は」、
 しなかった。
 先刻と逆。意外にも静かな口調でもって、イオスがイスラへ問いかける。君は、と再度繰り返し、
のことが好きなんだな」
 もちろんとばかり、大きく上下に振られる黒髪。
「大好きだよ!」
「恋人になりたいくらいに? 自分だけのものにしたいくらいに?」
「――」、虚を突かれたように目を見開き、「そ――れは」、
 わずかに彷徨わせた視線を、イスラは観念したかのようにイオスへ戻す。
「考えたこと……ない」
 幼少期。
 その殆どをベッドの上で過ごした彼の心は、成長後も、見た目に反して幼い部分が多かった。自身の感情を持て余すことが少ないとは、云い難い。
 今もそうして、うまく形に出来ないそれを読み解くため、イスラの返答は少し遅れた。
「……僕はただ」、
 伏せた瞼に映るのは、赤い髪と翠の双眸。重なって、焦げ茶の髪と夜色のまなざし。
 凛、と。強く。いつだって前を見てた彼女の姿。

 ――憧れて。
 ――羨んで。

 それはただ、
「笑って――真っ直ぐ。歩いてる。が、好きだ」
 ことばにするなら、そんなものにしか、ならない。

 傍にいたいとか。
 自分のものにしたいとか。こっちだけ見ててとか。
 ――そんなの超越するほどに。

「“”が」

 であるが、

「好きなんだ……」

 きゅう、と。
 己の胸元を強く握りしめて俯くイスラを見、イオスは相手に聞こえぬ程度の嘆息をこぼす。
「――――」
 そうなるんだよな、と、どこか自嘲めいた独り言も、やはり胸の中に留めるのみ。
 ――そもそも、イオスから見た彼女は。という女の子は、どう引っくり返したところで恋愛とか男女の仲とかそういう物事に向いた性格をしていない。
 向き不向きで論じられるものなのかどうかは、この際論外だ。第一、“恋愛”という感情が婚姻そして子孫を残すという種の本能へも結びつくというのなら、にはそういった本能が薄いとかいう話にまでなってしまう。
 いや、まあ。
 彼女に対してそういった衝動より強い感情を覚えている昨今、眼前の相手も含めたところの曰く自分たちの本能というものも、もしかしたらばそう強いものじゃないのかもしれないが。
 ああ、いや、だから。
 触れたくないわけはない。断じてない。
 こちらだってとうに成人した男性なのだから、いろいろ都合というものがある。正直な話、腕のなかで恥じらう姿を見たいと思うことだってあるのだ。
 ただ、それでも。
「……は」、
「え?」
 持ち上げられた視線には、疑問符が乗っていた。そうしようとしたわけでもないが、結果的にはそれに促される形で、イオスはことばの先を続ける。
「――」努めて軽く。「男前すぎる、と、思わないか?」
「――――は?」
 黒灰の双眸がまんまるに見開かれた。虚を突かれたのが丸判りだ。
 思惑通りの展開に持ち上がる口の端そのままに、イオスはイスラに薄く笑みかける。
「来年には二十歳になろうっていうのに、人生の楽しみは強くなることとか云ってるんだ。どうしてだと思う」
「え――えぇと……?」
の話を聞いたことはあるかい?」
「……あ、あんまり」
 知らない故の劣等感でも覚えたか、僅かにむくれるイスラ。
 だが、イオスだって“”を知らないのだから――もちろんは自分から仔々細々話す性格ではないし――、そのあたりは似たようなものなのだが。
「あの子は十歳でこの世界に来た。それから一年と少し、僕に逢ったときにはすでに、軍の人間として立場を固めつつあった」
「……それは、少し聞いたよ、ミスミ様から」
 ミスミ。たしか、風雷の郷でまとめ役をしている鬼人の女性。
 あの立ち居振舞いは所作こそ異郷めいているが、在り方はどこか、に似ている。そんな印象を、イオスは彼女に対して持っている。
 などと思考が少し逸れた合間に、ぽつりとイスラがつぶやいた。
「……すごいよね。姉さんだって、十歳のころは、まだ、そんなの遠い話だったのに」
「アズリア女史の地位と比べると、そう大差ない気がするけれどね」
 ちなみに、がデグレア軍から預かっていた地位は“軍曹”。あの戦いで軍は崩壊したから、それが最終的な結果だ。まあ、あのまま在っても、地位の向上を目指したかどうかは定かではない、どころか、可能性は限りなく低い。
 そうかな、と、云いながら、それでも身内を褒められたことは嬉しいのだろう。イスラはほんの少し、表情をほころばせた。
 だがしかし、
「――問題は、まさにそこなんだ」
「え?」
「十歳くらいと云ったら、そういう話に興味を持ち出す年頃だろう?」世間一般では、と、念のため注釈。「それを、軍人になるため訓練に明け暮れて。周りにいるのも、黒の旅団は少数精鋭を旨としていたから、ある意味潔癖な男どもばかり」
 ――まあ、極々一部に変態とかお茶目はいたが。主に召喚師で。
 今もこの島のどこかで、嬉々としてルヴァイドをおちょくっているか、にちょっかいをかけているか……もしくは恋人と一緒に和やかな時間を過ごしているか、出来れば最後の予想で落ち着いていて欲しい元顧問召喚師を脳裏に浮かべてみる。
 そうして、今はもう遠い、黒い鎧の同胞たち。
「……」
 しばらく視線を彷徨わせたイスラが、どこか胡乱げにイオスを見やる。
「ええと――つまり、は、根っから軍人だってこと?」
「まあ、大局的に見るなら」
「好きとか、そういうの、考えもしないくらい?」
「家族としての慕情なら人一倍強いけれどな。仲間としても。一度好意を持った相手のことは、本当に大切にするし」
「それは、判るけど」
「一度恋愛系の本を読ませてみたら、笑い転げてた」
「え」
 絶句するイスラへ、重ねてそのタイトルを告げると、彼はますます微妙な表情になった。
「……その本、姉さん、泣きながら読んでたんだけど」
「そこが違いなんだろう」
「…………」
 女性としてどうだとかいう話なら、アズリアのほうが、よほど度合いは高いとみえる。
 イスラには告げないが、の場合、イオスが虫を排除したり無駄にくっついたりしてよけいな耐性を(自覚なしのうちに)つけすぎたせいもあるのだが。
 ――人生、知らぬが花というものもある。
 イオスが沈黙した時間はそう長くなかったが、イスラがそこで口を開いた。再会出来てつくづく思ったんだけど、と前置きし、
「僕が逢った“”も、そんな感じだった」
 意地とか根性で気負ってたわけじゃあ、なかったんだね。
「……ありえないな」
 にせよにせよ――結局、“”は“”なのだ。
 むしろより極限においてなら、彼女は彼女でしかあれない。どんなに誤魔化そうとしても、根本的にあの子は、バカがついても足りないくらいの正直者だ。

「そう、だよね」

 イオスの否定に気を悪くするでもなく、イスラは素直に頷いた。
は」あえて、隠れ蓑としていた名を持ち出して、「いつも真っ直ぐで。裏切っても理由を見つけて頷いてくれて。――死にたがりを助けてくれて」
 生きてる者の権利と義務。
 叩きつけられたことば、射抜かれた視線。どれも、今なお、鮮やか。
「……友達で、いてくれてる」
「……」
 あの頃。
 二十年前の――あの頃。抜剣した姿を、イスラは、己でたしかめたことがなかった。鏡など用意してあるはずもなく、ただ、白く染め抜かれた自身のなか、赤く輝く双眸と魔剣に畏怖を覚えたものだと、アズリアやギャレオが話してくれた。
 それは――その眼の色は。
 今、眼前に立つ、金髪の青年のようであったのだろうか。
 物云いたげな視線を向けるイオスの行動を待つ間、イスラはそんなことを考える。
 ややあって、真紅の瞳はまたたき一度。同時に彼の口が開かれた。

「イスラ・レヴィノス」
「――え――?」

 もう二度と。
 外界の誰も呼ぶ日などなかろうと、信じて疑わなかったその名を。イオスは、するりと口にした。
 不意に改まった雰囲気に、自然、イスラも身構える。
 それを見てとって、金髪の青年は、黒髪の青年へこう云った。

「君はあの子を強いと云った」

「――君は、あの子の隣に立つほどに、今強く在る自信はあるか?」

「……」

 黒髪の青年は、それに、答えられなかった。



 何シケたツラしてんだ。
 通りすがりの少年悪魔から背中を蹴り飛ばされるまで、自失したまま立ち尽くしていたらしい。
 受け身をとる暇もなく顔から地面に倒れたイスラを見て、悪魔は、蹴りを繰り出した姿勢のまま、「オイオイオイ」と呆れた声を出していた。だが、だからといって助け起こしたりしないのが悪魔である。
「オイ。起きねえと次は踏むぜ」
「……」
 乗り越えていくなりすればいいものを、無駄に追い打ちかけてダメージを与えるのが彼らの仕事らしい。
 悪魔然とした悪魔に遭遇するのは、実は今回が初めてだ。無色の派閥にかけられた呪い、つまり病魔はそういう人格とか個性とかなかったし。あったらヤだが。
 ……のそのそ、と、身を起こす。ひとつまたひとつとはがれて落ちてく雑草を見下ろして、ふと。
「ねえ」
 背後の悪魔が誰なのか、たしかめもせぬまま、イスラはそんなことをつぶやいていた。
「僕――弱いかな」
「弱ェ」
 ずばっ。断言。見事な袈裟切り、一刀両断。
「後ろからオレが来てるってのに気づきもしねェし易々蹴られて起き上がるのにすらちんたらしてるしいつまでも背ェ向けたままだし? これが戦場だったらテメエ、十秒でオレが輪廻送りだな」
 ――仮想敵、君ですか。
 なんてツッコミは、とりあえず横に置いておく。また蹴られそうな気がしたからだ。
 代わりに、
「……強さって、何なんだろう」
「オレが知るワケねぇだろ、んなもん」
 ――いや。実に手厳しい。
「サプレスなら力の強ェ奴が強ェでいいんだけどな」
 と思ったら、おや。話に乗ってくれる寛容さはあるようだ。
 あまり耳に馴染みはないけど、最近聞いた覚えのあるどこか幼い声が、何か達観した口ぶりでことばを続けている。
「ニンゲンてな、そのへん複雑でややっこしいぜ。どー見ても実力劣ってんのに、ド根性で悪魔王倒すようなバカもいやがるしよ」
「……ディエルゴ倒すようなひともいるしね」
「そうそう」
 なんだか微妙な意気投合。
「――ま、そーいうモンなんじゃねェの。テメエはどっからどー見ても弱々の弱だが」
「…………」
 前言撤回。
 打ちひしがれたのが背中側からでも判ったんだろうか、幼い悪魔の声が「ケケケ」と楽しそうに笑う。
「なんだテメエ。強くなりてェとかいうクチか?」
「……うん」
 魔剣なんて要らないと。人の手の及ばぬ力なんて要らないと。
 ただささやかなしあわせが、このまま続いていけばいいと。
 ――そう。いつ訪れるか判らないひとを、変わらぬこの島で待ちつづけてた。
 でもそれは。その時間は、彼女が再びここを訪れた時点で終わったのだ。

 では。
 これからは。

「まァ、アレだな」

 何をすれば、

「オレんとこのヤツらみてぇになりてぇんなら、とりあえず独り立ちしてみんのが手っ取り早いんじゃね?」
 何しろどいつもこいつも、否応なしにそんな状態突っ込まれたヤツらばっかだしな。

「……独り立ち」
「そんで世間の厳しさに絶望したらオレに感情食わせに来い」
「…………」

 それはとっても勘弁してほしい。
 そう云おうか云うまいか、迷った間に悪魔が再び口を開いた。苛立たしげに。
「つーか、何オレに人生相談持ちかけてんだよ。自分で考えろ、それくらい」
「あいたっ」
 げしっと一蹴りを置き土産に、ばさばさ、羽音が遠ざかる。
 結局姿をたしかめることもしなかった悪魔の気配が、そして完全に消えたころ、イスラは身を起こす動作を繰り返した。
「……」
 強さ。
 口の動きだけで呟いて、そっと胸に手を当てる。
 ――もう、あの日の遠い、白い熱は感じない。それでもたしかに自分は、あれを、この裡に預かっていた。
 もとは、今、銀髪の男性とともに滞在しているあの女性のものだったという。それをが預かって、さらにイスラが一時拝借していたのだ。プニムも然り。

 同じものを預かっておいて、自分の、この体たらくはなんだ。

「――強く」

 呟いた、眼差しに宿る意志の輝きは、そのことばがそう遠くないと示していた。



 なんかご機嫌だね。
 不思議そうに云うに、イオスは「そう?」と笑いかける。
「……まさかイスラをけちょんけちょんにしたんじゃないでしょうね?」
 あの人ヤワそうに見えて芯ありそうだけどへこたれ易いんだから気ィ遣ってほしいんだけど。
「してないよ。ちょっと発破かけただけさ」
「発破?」
 呆然としてしまった黒髪の青年に思考の時間を与えるべくそっとしたままにあの場を離れたイオスは、適当に見当をつけて歩いた先で見事と再会完了。
 遭遇最初のやりとりののち、疑問符浮かべた焦げ茶の頭を、ぽん、と手のひらで軽くたたく。
「そう、発破。仮にも僕と渡り合おうっていうのなら、のほほんとされたままでも腹立たしいんだよ」
「……渡り合うぅ?」
 すっさまじく胡乱げに応じる声。
「それはまた。なんつーか。イオスのほうが強いに決まってるじゃない」
「お褒めいただき恐悦至極」
 二十年のんびり隠居生活してた人間と、日々是訓練に明け暮れて今も現役騎士だったりする人間と。
 技量その他諸々含め、後者が有利に決まっている。
 ――と、いうようなことを、は云いたいのだろう。
 いつになっても思索方向がそちらにしか向かない彼女の髪を、一房とって、もてあそぶ。時間を越えたこの島で事件に巻き込まれているうちに伸びたんだろうその髪は、さらさらと、指の間をこぼれて流れた。それをすくって、また梳き流す。
 もしイオスが気を変えればすぐに首をかき切れそうなことを、判っているのかいないのか――そんなことなどありえないが――、はくすぐったそうに首をすくめた。
「この島のひとでイオスが勝負するなら、ミスミ様とかクノンとかが武器とか射程とか近いと思うなー」
「……はは、女性相手は勘弁してほしいな」苦笑いして、こう付け加えるのは忘れない。「蔑視してるわけじゃないけど、否応なしの本番でもない限りはね」
「……」笑み交じりの呆れた声。「イオスってつくづくフェミニストだよね」
だって人のこと云えるかい? 護るって云ったらどっち?」
「そりゃ、基本は女の人。やっぱり大事にしなきゃね」
「ほら」
「う」
 少し怯んで、次の瞬間、むっ、と眉が持ち上がり、口がへの字に曲げられる。
「あたしはいいのよ、女だもん!」
「……じゃあ大事にされててくれないかな」
「あ。それ無理。だってあたし」、
「女とかいう前に(元)軍人?」
「そうそうそう」
 即座に浮かべた満面の笑みは、よく判ってるじゃない、という意思表示。
 これが普段なら、そろそろイオスも折れているところなのだが、今日の彼は少し粘り強かった。――もう五年以上あれやこれやと画策しているのを加えたら、少しなんて形容ではおっつかないのだが。
 ――うん。普段なら。今までなら、それでよかった。
 正直な話、とこんな話を突っ込んで出来るのは、今も昔もイオスくらいなのだから、他愛ないそれを楽しんでいればよかったのだ。
 だけど事情は様変わりしている。
 知らないうちに知らない場所へ出かけた彼女は、見知らぬ人々と出逢って縁を結んで戻ってきた。
 黒髪の青年。イスラ。
 彼に負ける気はない。ないけれど。

 ……いつまでも、の被保護者でいられちゃ困るんだよ。

 実は女子供に弱いルヴァイドの性質を、養い子もきっちりかっちり受け継いでいる。かつ軍人の心得のなかには、女性や子供は護るべきというものもある。
 のなかで、イスラの立場はまさにそれだ。
 恋愛対象にはなりえない位置なのだが、ここで難儀なのが、相手を一度被保護者とした場合、その見方をなかなか変えられないという側面。ルヴァイドを見ていれば一目瞭然だ。にそのきらいがないなんて、どう斜めに見ても云いきれない。
 このままがあちらにばかりかまけていては、彼女が(嫌な云い方だが)どんどん男前になるばかりではないか。それこそ冗談ではない。
 それなら、多少どころではないリスクこそ発生するものの――そうイオスが結論づけたのも、無理のない話ではあったのだ。

「イオス?」
「あ、ごめん」

 思考に耽った時間は、少しばかり長かったようだ。
 どうしたのー、と見上げる夜色の双眸に笑いかけ、指にからめたままだった髪を解放する。
「とりあえず、戻ろうか?」
「え? でもイスラほったらかしたままだよ」
「それなら大丈夫。途中でアズリア女史に逢ったから、頼んでおいた」
 これは本当だ。
 考えることも多かろうから、暫くしたら様子を見に行ってやってほしいと。
 アズリアは、そのあたりの複雑な事情をある程度は察してくれていたらしく、「苦労しているな」と、裏切った輩をどうこう云うでもなく、二つ返事で引き受けてくれた。
「あ、そうなんだ。それなら安心だね」
「そうそう。じゃ、行こう」
 懸念も消えて手を合わせるの肩を、そっと押して歩き出す。

 ――さて。
 自由騎士団へ新人が一名、入るのかどうか。
 その結果はもう少しばかり、先の話になりそうだ。