彼の墓は、ふたつある。
ギャレオがつくった風雷の郷の方には象徴として剣が、直接伏したあの断崖には、すでに朽ち終えたかもしれない骸がそれぞれ眠っている。
どちらに行こうか思案したが選んだのは、もう目印もない崖の上ではなくて、風雷の郷は社の裏手、他の墓とは少し離れた場所に構えられた、こぢんまりとした墓石の方だった。
やはり心は日本人というのだろうか、こちらの方が、報告をするにも勝手がいいというか。
――報告。
そう、報告だ。
何の報告かって、そりゃ決まってる。
ここへ訪れる途中、適当に見繕ってきた花を墓石に添えながら、はぽつりとつぶやいた。
「……久しぶり、かな。あんたにとっては」
思い返すのは、ガラ悪さ抜群の目つきと言葉遣い。初対面早々売られたケンカ。よりによってを庇ったあの捨て身。生きている自分をもてあましていた困惑と憎悪。
――生き終わった と。
最後に清々したとばかり告げて、逝ってしまった。
帝国海戦隊第六部隊随一の問題児。
「ビジュ」
自分にとっては数日前。
眠る彼がまだいたとしたら、二十年以上前だと云われるだろう――遠い、約束の報告を。
今ここに、告げよう。
「――ルヴァイド様にたしかめた。あんたたちを虐待してた、旧王国の部隊ってやつなんだけど……」
少し後ろに立つ、赤紫の髪した男性。その傍らには金髪の青年。
ふたり分の視線も背に追って、はつづける。
「……こないだの、っても知らないだろうけど傀儡戦争っていうのがあって。そいつら、そこで屍兵にされて大平原で聖王国軍に火葬されたっぽい」
――なんだとォォォ!?
ああ。
空の上から彼の絶叫が聞こえてきそーだ。
乾いた虚ろな笑いを、どことも知れぬ虚空に投げて、は、ルヴァイドたちを手招いた。
……時間は数日遡る。
勅命を受けたミモザとギブソンが派遣すべきメンバーを選出している間、最初から王都に滞在していた、マグナにトリス、それから戻ったばかりのルヴァイドやイオスなどは、わりとどころでなく時間が余っていた。
旅支度については、蒼と金の派閥が全面バックアップだとのことで、そう手間もかからない。
だものでは、ちょうどいいとばかり、ルヴァイドにその質問をぶつけてみたのである。
うららかな午後。
訓練後、腕をあげたなと誉めてくれた養い親は、書物をめくる手を止めていぶかしげな顔になった。
「――旧王国軍が捕虜を拷問していた?」
武道一辺倒との印象もあるルヴァイドだが、伊達に一軍を率いていたわけではない。文字通り文武両道を体現している彼に、はこくりとうなずく。
「だそうです」
例の島で帝国軍に逢った話はしましたよね、と確認して応えをもらい、ことばをつづけた。
「そのなかで、ビジュってひとがいたんですけど。旧王国の捕虜になったとき、トラウマになって残るくらいの拷問受けたらしいんです」
「…………」
「二十年以上前って云ったら、体制とかいろいろ違いますよね。当時って、そういうの横行してたんですか?」
「――していなかった、と、云いたいところだが――難しいな」
はあ、と、深いため息をついてルヴァイドは云った。
「デグレアに限っては断言出来るが、本国や他の領国となると怪しい。イオスたちの軍と戦った頃には、約定も徹底していたが……」
「……」
聞くともなしに会話を聞いていたらしいイオスが、僅かに苦笑した。
かつて二度、捕虜を経験した彼は、その単語にあまりいい気持ちはなさそうだ。だって、それは同じなのだが。
ともあれは「それじゃあ」と、再び話を切り出した。
ビジュから聞いた軍章のおおまかなつくりを告げ――といっても、彼自身意識も朦朧としていたろうから、どこまで正確かは判らないが――、その紋様を用いている旧王国軍に心当たりがないか尋ねる。
すると、ルヴァイドは記憶を手繰るように視線を宙に投げた後、しばらくして頷いた。
「その軍章は、領国派遣軍のものだろうな。その模様に心当たりは――ないでもない、が――」
おや。
どうしたんだろう。
いつになく言葉尻を濁すルヴァイドを不思議に思い、はイオスと顔を見合わせる。それから気を取り直し、ずい、と身を乗り出した。
「教えてください、ルヴァイド様。あたし、その軍の大将とっちめるってビジュと約束したんです」
「……聞いてもいいことはないかもしれんぞ」
「今さら怖気づいたりしませんよ! また悪魔が乗っ取ってるとかならともかく!」
「……そういうわけではないのだが、な……」
「ルヴァイド様。本当に、どうなさったのですか? その軍は何か特殊な位置付けだとか?」
立ち入った話だろうと思ってか、やりとりを黙して見ていただけだったイオスもが、とうとうそう云って割り込んだ。
一歩間違えば自分もそのような相手に捕えられていたかもしれないのだ、少し以上に気にかかるものがあるんだろう。きっと。
追及されたルヴァイドは、
「判った判った」
と、迫り来る部下ふたりを、腕をわずか突き出す仕草で押しとどめる。
だが、とイオスがそれに従って退いた後も、少しばかりの間、なんとも云えない表情で宙を仰ぐありさまだ。
「ルヴァイド様っ」
「ああ――うむ」
再三急かすとようやっと、ルヴァイドも気持ちを改めたようだった。
顎に添えていた手を外し、真っ直ぐにを見つめると、おもむろに唇を持ち上げる。
「俺の記憶が正しければ、その部隊は」、
「その部隊は?」
「あの折――傀儡戦争時に、本国よりの増援としてデグレア軍に組み入れられていたはずだ」
「ええ!? そうだったんですか!?」
黒の旅団が押し広げた道を通って進軍した、デグレア軍本隊。たしかに、聖王国を攻めるとなれば本国からの増援も繰り入れられておかしくない。
――だったら、
「あの時殴っとけばよかった……!」
出来もしないことを叫ぶを見て、今度はルヴァイドとイオスが顔を見合わせた。しょうがないなと苦笑い。
そうしてまず、イオスが「え?」と疑問を呈する。
「待ってください。我が軍は、あの戦いで僕たち以外――」
……僅かな間。
遠ざかる黒い背中は今もまだ、ふとした弾みに寂寥感を覚えさせる。とらわれて立ち止まることなどないけれど、悼み、痛む心だけは偽れない。
彼の云いたいことを察し、ルヴァイドが小さく頷いた。
「そうだ」
「――あ――!?」
そして、もやっと、それに気がついた。
意味をなさない音を発したその口を手のひらで覆い、は、そこで愕然と叫ぶ。
「死んでるじゃないですか! みんな、ひとり残らず屍兵にされちゃったんだから――――!!」
……その後ルヴァイドの記憶をしつこいくらいたしかめたり、忙しい身であるはずのギブソンたちに詰め寄って、各国の軍章を確認したり。と、いうようなこともあったのだが。
まあ、つまりはそういうことである。
よってこれにて回想終了。
「……というわけなのよ」
やってきたルヴァイドたちと並び、逐一事情を述べたは、やるせない気持ちで墓石を見つめてことばを締めくくった。
――ふざけんな! 人ほっぽって勝手におっ死んでんじゃねぇ!!
あー、叫ぶ叫ぶ。ビジュなら絶対そう叫ぶ。
「というわけで――あたしは何も出来なかったけど、ある意味めぐりめぐってオチがついたというか。人を呪わば穴ふたつというか」
「何を仰るのです、さん。貴女がいなければああはならなかったのですよ胸をお張りなさい」
「……いや、それって胸を張れるもんじゃないです――って!」
足元から響いた声に、はぎょっとして飛び退る。
たった今自分が佇んでいた場所、その地面から生えている声の主を見て、立て直しかけた体勢を一気に崩した。もとい崩された。
「レイムさん……」
あーなんかもう、なんなんだこのひとはー。お茶目っぷりに拍車がかかってないかー?
がっくり脱力するの傍ら、呆れきった声がする。
「レイム、ここは墓地だ。愚行は慎め」
「貴様、本当に変わらないな……」
場所が場所だからだろうか。ルヴァイドも、イオスも、軽くたしなめる程度のことを云うだけで、実力で排除しようとする素振りはない。いや、足元から発生した相手に対してそれだけしか云うことがないのかって問題はあるのだが。
忠告されたレイムは、涼しい顔して地面から生え終わると、銀の髪揺らして振り返る。
「貴方がたは、少し変わりましたね。平凡なことばですが、落ち着きが出てきた」
まっとうな賛辞に、云われたふたりは目を白黒させている。
未だかつて、彼が、こんな真正面から、彼女以外の誰かを誉めたことがあっただろうか。いやない。反語。
だからこそルヴァイドとイオスは驚いたのだし、も思わず目を丸くして、かつての顧問召喚師を振り仰ぐ。
そんな反応がおかしいのか、レイムはくすくすと笑っていた。
「私が誰かを誉めるのが、そんなに意外ですか?」
「ああ」
「うむ」
「即答ですか」
へっ、と、口元歪ませてやさぐれる優男。だがそれは長続きしない。
続いて、レイムはやんわりとした笑みを浮かべると、の前にある墓石に向き直った。
「まあ、そういうわけでして。貴方の仇を討ったのは、最終的に私ということになるのでしょうね。感謝しなさい」
顔も知らぬ相手へと語りかけるレイムの口調は、静かで優しい。居丈高だが。
「魂宿らぬ偶像へ語りかけて届くわけもないのですが」、そのまま身もフタもないことを云い放ち、「訪れる次生に幸いあれ。貴方の命は、さんが持っていくのでしょうから」
そうでしょう?
やはり微笑んだまま、目だけで問いかけるレイムへと、は大きく頷いてみせた。
「もちろん」
遠ざかる、黒い機械兵士。
消えてった、デグレアの皆。
血に塗れこときれた帝国軍人。
まえへ
さきへ
持っていけ
生きろ
勿論。
この手にどんな重みがのしかかろうと、歩きつづける意志は消えやしない。
あたしがここに在る限り。
そうして、ルヴァイドが、墓石の前に跪く。
「の命を救ってくれたこと、礼を云う。――そして、旧王国の人間として、貴君への蛮行を謝罪しよう」
傍らで同じようにしたイオスも、軽くこうべを垂れてつづけた。
「感謝する、我がかつての同胞。偉大なる先達よ、安らかに眠ってくれ。我らが祖国を見守ってほしい」
――ビジュが素直に見守るよーなタマとも思えないが。
まあ、それを云って、真剣に祈ってくれてるルヴァイドとイオスの気を削ぐのもバカらしいし失礼である。
もまた、何を云うでもなしに沈黙し、静かに墓石を眺めやった。
レイムはというと、退屈そうに、空を仰いでいたけれど。茶化さないだけ、思うところはあるのだろう。
――いいんじゃねェか?
遠い、空で。
――なんにせよ、果たしてんだろ。ヒヒヒッ、テメエらしいねェ?
聞こえたそれは、きっと、幻だったのだろうけど。
ふと。
「生き終わった」と云ったときのビジュの表情を、は思い出していた。