【そして忘れられた島で】

- 看護人形は恋愛心理学を理解するか -



「あら、クノン。どこかへ出かけるの?」
「はい。夜にかかるかもしれませんが、本日中には戻りますのでご心配なく」
「……そうね。この時間からならしょうがないわね」
「申し訳ありません」

「いいのよ。――それで、どこへ行くの?」

 融機人である女性の問いに、看護人形は素直に頷いた。

「ヴァルゼルドとレオルド様と、デートをしてまいります」



 ――――ごぶぉッ!

 おお。
 見事なコーヒー噴水だ。
「うわあ、先生汚ね――!!」
 レックスの真正面にいたナップが悲鳴をあげて飛び退くのを、は生ぬるい目で見送った。かろうじて難は逃れたようだが、驚きすぎて息が荒くなってるようだ。
 だが、レックスをそんな奇行に走らせた張本人はというと、効果範囲から外れた位置にいたこともあってか、ナップへフォローをかける素振りもない。常から冷静な彼女にしては珍しい。それだけ動転しているのだろうが。
 淡い亜麻色の髪をふわりと揺らし、張本人ことアルディラは、むせているレックスの様子さえ気にかける様子を見せず、焦った感じで話し掛けている。
「それで、私、どうすればいいのかしら。あの子、今まで恋愛なんて縁がなかったのよ。それがいきなりヴァルゼルドと――そちらのレオルドと佳い仲だなんて、機械たちには一夫一婦制なんて決まりはないけれど道徳上どうかしらとも思わなくもないし」
 ……ちょっと問題違うんじゃないかな、それ。
「ねえ、レックスったら」
 むせつづけるレックスを揺さぶるアルディラ。
 そんなことをするから、せっかく整いかけた先生の呼吸はまたしても乱れ、響く咳は止まらない。
「なになに。レオルドがどうかしたの?」
 ユクレス村へ遊びに行っていたはずのミニスが、いつの間に戻ってきたのか。興味津々、顔を一行の間から覗かせる。
 たしか彼女は昼過ぎに出かけたはずで、それから少ししてからこちらは砂浜でまったりお茶会モドキを楽しんでいたのだから――つまるところ、そろそろ夕方と呼んで差し支えない時間帯にかかろうという頃合いか。
 で、アルディラがここに姿を見せたのは少し前のこと。
 クノンが爆弾発言をかましてアルディラをフリーズさせ出かけたのは、それよりもう少し前のことらしい。……たしかに、夜のデートとしゃれこむには今から動いてちょうどよかろうという頃合いでもある。
 なんてが思っている間に、衝撃から立ち直ったナップが、ミニスにことの次第を説明してやっていた。
「――で、驚いたアルディラが先生に相談に来たってわけだ」
「はあ……」
 実に複雑な表情でうなずくミニス。
「まあ、ゼルフィルドだって」、そこでちらりと視線を向ける若草色の双眸に、は小さく笑ってみせる。「――命令違反してあんなことやるくらいだから、今さら、恋仲とかじゃ驚いたりしないけど」
 気遣いありがとう小さなレディ。とか、が気障なにーちゃんだったら、云ってたかもしれない。
 とはいえミニスもお年頃に足を踏み入れつつあり、こども扱いされてムキになるような幼さは、すでになりをひそめがちなのだが。
「……それに、そもそも機械って、人間みたいな性別感覚ってないんじゃなかったかしら――ううん」、
 ちらり。
 今度動いた若草の双眸は、これこそ偶然に違いなくやってきたネスティを映していた。
「融機人は別として、だけど」
 すぐに戻った視線は、最後にアルディラへと向けられる。
 少女ながらも激戦をくぐり抜けてきた理知的な瞳に、その融機人はようやっと、少しばかり冷静さを取り戻してくれたようだった。
「そ……そうだったわね。嫌だわ、私ったら、動転してしまって」
 頬に手のひらを当ててアルディラがうろたえているそこへ、
「どうかしたのか?」
 ミニスの視線に気づいたネスティが、どこぞへ向かっていた足を方向転換してやってきた。
「あー、うん、それが」
 ふっと目を見交わしたミニスとともに、はネスティにもこれまでのやりとりをかいつまんで説明する。
 メガネの奥にある彼の目は、話が進むにつれて、マグナとトリスの課題が正解率七割を越えたときのような色合いを濃くしていった。ちなみに九割越えると驚きすぎて数分彫像になったそうだ。数年前のお話らしい。閑話休題。
 クノンというのはあの看護人形だな、と念のためか確認してから、ネスティは
「……にわかには信じ難いが」
 とつぶやいた。それから無意識に落としていた顔をあげ、
「今ミニスが云ったのが、これまでの常識だ。それで間違いない――と云いきるには、例外もまた、多く見てきているからな……」
 ゼルフィルド、レオルド。エスガルドにヴァルゼルド。
 いずれも、ロレイラルではまず見られなかった“性質”の持ち主なんだろう。機械兵器として有用であれば、いや、そもそもそんなものを持ち合わせるはずもなかった――機械兵士。
 つーかあんな物騒な攻撃力の持ち主をばんばか量産するなんて、いったいどーいう歴史を歩んできたんだロレイラルってゆーのは。
 一生問えないだろう問いを脳裏によぎらせ、は逸れかけた意識をネスティへ戻す。
「つまり――申し訳ないが、僕にはなんとも云えないのが正直なところだ。とはいえ、仮に彼らの間で恋愛感情が発生したとしても取り立てて問題とも思えないし」、
 ……おそらくネスティは、“放っておいてもいいんじゃないか”とか続けようとしたのだろう。
 だが、それは、紡がれることのないことばだった。
「だめよ!」
 なんだか泡を食ったような勢いで、アルディラが声をあげたせいだ。
 さっきまでの彼女を知らないネスティが、その豹変振りを目の当たりにして、ぎょっとした表情になる。他一同はというと、驚きにではなく、その声の大きさに圧されるようにして身を退いた。
 時限爆弾を目の前にしたと云っても過言ではない周囲の視線はたぶん、今のアルディラにとってただの微風。たおやかな指を固く握り締め、彼女はことばを続けている。
「だ、だって。あの子はまだ、感情に気づいて日が浅いし」
「……二十年近く経ってるじゃないですか」
「で、でも。まだ子供なわけだし」
「……外見のことなら、変わりようがないと思うわ。忘れそうだけど、あのひと、お人形なんでしょ?」
「だ、だけど。悪い男にひっかかったら」
「……一応さ、ヴァルゼルドとレオルドなら、そんな心配ないと思うよ?」
「一応じゃなくて絶対」
「で、でも。だけど。やっぱり。その」
 しどもど。どぎまぎ。
 反論にならない反論は、とうとう文章としても成り立たず、否定の接続詞だけになってしまった。
 アルディラの思考回路は、今、それこそショート寸前に違いない。
「……娘を嫁にやりたくない母親みたいだよな」
 ぽつりとナップがつぶやいた。
 実にピンポイントなその指摘で
「え」
 アルディラは硬直し、
「「――云えてる」」
 その他一同は、一斉に頷いたのである。


 ――そして場面は転換する。
 太陽もすっかり沈んだ夜、星のきれいな砂浜で、向かい合う人影はひいふうみい。
 でっかいのがひとつ、大きめがひとつ、小柄なのがひとつ。
 ヴァルゼルドとレオルドとクノンだ。
 三人は、何をするでもなく膝をつき合わせるようにして向かい合い、押し黙ったまま座している。
 人なら少しばかり肌寒いと感じる夜風も、彼らにかかってはただ大気が移動しているだけという現象に過ぎない。
 ……どれほどの風が、彼らの横を吹き抜けていっただろうか。
 そろそろ凍えそうな予感さえしてきた頃になって、ようやく、クノンが顎を持ち上げた。傍らのふたりを見渡して、
「頃合いですね」
「エエ」
 告げることばに、レオルドが頷いた。
「頃合いですな」
 うむ、とヴァルゼルドも一拍遅れて同じ動作。
 ……これは本当にデートなのか?
 向けられる疑問の視線には、だって、と云いたげな眼差しが返される。だって本当に、あの子はデートと云ったのだもの。
「それでは、先日の続きを……」
 きびきびとクノンが指示を出す。
「ヴァルゼルドは判定を。レオルド様、至らぬところもあるかと思いますがよろしくお願いいたします」
「ハイ。私コソ、不手際ガアリマシタラ遠慮ナク」
「了解であります」
 彼らは、いったい、これから何をするつもりなんだ。
 この時点で、デートなんて前知識は選択肢から除外されたも当然だった。
 深呼吸する程度の間を空けて、クノンが立ち上がる。続いて、レオルド、ヴァルゼルドも。金属の軋むかすかな音が、夜風に乗って周囲の空気を震わせた。
 そして、クノンとレオルドが向かい合う。ヴァルゼルドはふたりから少し離れて、見守るような位置にいた。
「――――」
 ごくりと、誰かが唾を飲む音。
 同時にクノンが右腕を持ち上げ、ゆっくりとレオルドへ――――

「「じゃんけんぽんッ!!」」

 クノンがチョキ! レオルドがパー! クノンの勝ち!

「ハッ!」
 クノンはハリセンを手にとった!

「ヌッ!」
 レオルドは鍋のフタに手を伸ばした!

「――甘いッ!!」
「コレシキ……!」

 クノンの攻撃! クノンはハリセンを繰り出した!
 レオルドの防御!

 スパーン!!(効果音)

 レオルドは攻撃を防げなかった! レオルドは20のダメージ! レオルドは倒れた!

 ちゃちゃちゃらーらーらーらっららー(効果音)

 クノンは勝った!
 クノンは経験値を3手に入れた! 0Gを手に入れた!

 ※効果音は脳内補足でお楽しみください※

「――ふ」
 なんか勝ち誇ったような含み笑いが聞こえる。
「これで通算三百飛んで七勝目ですね」
 三百七回もやってるのか。
「ですがレオルド様も筋は悪くありません。訓練をこなせばいずれは私を越す傑物となられるでしょう」
 なんの筋だ訓練だ。
「――さあ、立ってくださいレオルド様。夜はまだ長いのですから」
「……エエ、ソウデスネ」
 そっと差し伸べられるクノンの手をとって、レオルドが立ち上がる。
「三百七勝目……ですな」
 いつの間にか手にしていたボードに、戦績を書き込むヴァルゼルド。
 そんな彼ら、ふたりの機械兵士を見つめて、クノンは胸元で手を組んだ。

「がんばりましょう。いつかきっと、あの星のように――私を導いたオウキーニ師匠のようにお笑いの星を目指すのです――!」

 迷いなく伸ばされた彼女の腕、そして指先は、夜空に一際輝く星を示していて――


「……そう」
 なんて輝かしいあちら側とは正反対に、こちらでは、憤怒の溶岩が噴出していたりした。
 こちらとはこちら、まあ要するにクノンの“デート”が気になって覗きもとい島の平和のために必要だとか建前くっつけた監視を行なっていた茂みの陰の一角だ。
「オウキーニが仕掛け人なのね」
 仕掛け人というか、天然芸人体質の彼のどこか大げさなことばを、クノンが真に受けてかつ拡大解釈しちゃってるだけじゃないのかなーと、思いつつ、は賢明にも口をつぐんで保身を図る。
 今何か反論したら、絶対に空からレーザーが降ってくる。
「……」
 他人の危機を見捨てておけないレックスでさえ、蒼ざめて小刻みに震えるばかり。ナップも然り。
 ミニス、連れてこなくてよかった。きっと夜遅くなるからと、ちゃんと就寝するように置いて出てきた金髪の少女が、ファミィにも通じる聡明さを持つアルディラのこんな姿を見たらトラウマになったかもしれない。
 ちなみに、あの場にいたメンバーのうち、ネスティもこの場にはいない。人様の恋愛に興味はないそうだ。漫才修行にはもっと興味がないんだろうな。
 ――っていやいや、もうそんなんどーでもいいから。

「…………ふふふふふふふふふ」

 今にもディエルゴ喚び出しかねないこのひとを、誰かどーにかしてください。

「ふふふふふふふ……夜が明けてから待っていなさいオウキーニ……うちのクノンに道を踏み外させた代償がどれだけ大きいかその身をもって教えてあげる……!」

 心配した分反動も大きいんだろうなあ――
 頭のどこかに、まだそんなことを考えてられる冷静な部分があることに自身が一番驚きながら、はアルディラを直視出来ぬまま、茂みの陰で震えつづけたのだった。
 そんな状況から逃げ出さずに済んだのは、ひとえに、翌日もっと恐ろしい目に遭うであろうオウキーニの境遇を思えばこそだったのである。


 ……だが、その数分後、高密度な負の感情に惹かれてやってきた現役悪魔とか元大悪魔がそれらを喰らい尽くしてったため、幸い、ユクレスは惨劇を見ずにすんだらしい。

「だからさー、オウキーニさんはもう少し師匠として弟子へ与えてる影響ってのを考えるべきだと思うぜ」
 今後気をつけてくれよ、と、しみじみ語るナップの姿が、後日、その村では見られたのだった。