――――ギィィン……!
周辺に漂っていた静寂は、その激突音ひとつであっさりと破られた。
まずは小手調べ。
斜め十字を描くように交差した互いの剣は、火花散る音もけたたましく擦れ合い、相手の軌道を少しずつ逸らしながら鬩ぎ合い、離れた。
同時に入れ替わる立ち位置。
赤紫の髪と、深い緑の黒髪が、残像を残してすれ違う。
息をつく暇もない。
背を向け合う時間は一瞬もなく、またたきひとつする間に、ふたたび彼らは向かい合い、地を蹴り、肉迫する。
再びぶつかる刃。
だが、今度は火花が散ることはない。
金属の軋む音が細切れにつづく。鍔迫り合い、力比べだ。
一瞥。その獲物は違い過ぎる。
片や幅広の大剣、片や細身の長剣。
それを操る当人たちも、鍛え方こそ大差なかろうが、根本的な身体のつくりに差異のある、男性と女性なのである。
しかし、それを補って余りあるは、彼らがこれまでに培ってきた戦いの技量であろう。
空気ごと断ち切らんと振り下ろされる大剣を、長剣は絶妙な角度で受け流す。
目にも止まらぬ速さで繰り出される長剣の突きを、大剣は余すことなく受け止め弾く。
そこで、ふたりは一旦後方へ大きく飛び下がり、距離をとった。
男性の胸が一度大きく上下し、女性が二度、息を吐く。
たった数合を交わしただけでありながら、ふたりの額には、うっすらと汗さえにじんでもいる。
しかし、双眸には疲れなど微塵もない。
あるのはただ、好敵手を前にした戦士としての、本能的な勝利への渇望だろう。まなざしに宿る光は、この上なく強い。
大剣の切っ先が、持ち上がる。
長剣の切っ先が、僅かに動く。
地を蹴る音がそれに続き、だが、剣とその持ち主たちの行動を視認できたものは、果たしてどれだけいたろうか。
――残像。
赤紫。
深い緑。
またたき。閉じた目を開ききらないうちに、またも刃はぶつかっていた。
翻る白刃。
幾重にも交差する影。
とめどない剣戟。
光と音がつくりだす、それはまるで芸術のよう。
――ちくしょう。
誉められた言葉遣いではないと判っていても、思ったのは、そんな感情だった。
まだまだ甘い。
まだまだ遠い。
腰に佩いた白い剣に、そっと手を添える。
刻み込む。自戒する。
いつか、あの剣豪に迫れたのは、まぐれでしかないのだと。
理想はまだ、はるかに遠い。
その具現のひとつである剣舞を前に、はただ、立ち尽くす。
――結局、決着らしい決着はつかなかった。
「お疲れ様です」
「うむ」
「隊長、お怪我は」
「ない。案ずるな」
とはいえ、あれだけ打ち合って、まったく体力を使わなかったわけがない。
呼吸を乱し、汗だくになった彼らのもとへ、それぞれの副官が駆け寄った。
鬼神のごとき――というと恐ろしい印象があるが、ともあれそんな感じの気迫で剣を交わしていた彼らは、渡されたタオルで汗をぬぐいつつ、ふと互いを見交わした。
「さすが、一軍を率いる将だけのことはある」凛、と笑んでアズリア。「貴殿の力に打ち勝てる者は、我が帝国軍にさえいるかどうか」
「それを云うなら俺のほうだ」ふ、と微笑んでルヴァイド。「その速度に惑わされず、冷静に凌ぐ者を捜すのは難しかろう」
惜しみない賞賛を交わしたふたりは、視線を合わせて破顔する。
これで空が赤く染まっていたら、さぞ往年の青春漫画っぽくなったに違いない。ケンカの後に生まれる友情とか。
や、あのひとたちの場合、友情というか好敵手というか。親友と書いてライバルと読ませないのは確実だが。
だがしかし、何がしかの連帯感っぽいものが生まれたのは、たしかかもしれない。
ルヴァイドはイオスを、アズリアはギャレオを、
「……」
「……」
何やら含みのある視線で一瞥し、
「獲物が違いすぎるか」
「そうだな。手合わせさせてみたかったが」
と、副官達が問う前に、大きめなため息なんぞ、ついている。
……どうやらあのひとたち、自分らの後は、イオスとギャレオを戦わせてみたかったようだ。
それはさすがに無理だろう。
何しろ、得意な武器が、槍と拳なのである。
リーチ違い過ぎるし、お互い、実戦でもなければ、進んで稽古を願いたい相手でもないだろう。
実に好戦的な上役を持ったイオスとギャレオは、顔を見合わせ、さらに大きなため息をついた。
「無理がありすぎます。実際の戦場ならともかく」
「そうです。隊長、おふざけにも程があります」
堅苦しく諌める副官たち。
苦笑して受け流す上司二名。
そんな四人を遠目に見つつ、は、ちらりと、傍らの人物に目をやった。
「……アズリアさん、かなり吹っ切れてない?」
というか、お茶目具合が増してるというか。
「うん。でもたぶん、家のことや僕のことがなかったら、元々あんな感じだったんじゃないかなって、最近思うんだ」
「…………たしかに」
傍らの人物、こと、イスラもかなり、なんていうか、春模様だし。失礼。
うむさすが姉弟。
レヴィノス家みんながこんなノリならば、このふたりも思い悩まずに済んだろうに……っていやいや、歴史と伝統とお茶目を兼ね備えた軍人の家系ってのもどうか。
「でもさ」
と、イスラがぽつり。
「旧王国の将軍って、もっと重厚な人だと思ってたんだけど……ルヴァイドさんも、そんなに怖いひとじゃないみたいだね」
「うーん……まあ、こっちもこっちでいろいろあって終わってるし」
どちらにせよ、ルヴァイドは自由騎士団の件でまだまだ問題が山積みだし、アズリアとて責任ある立場を戴いている。
つまるとこ、ふたりがあんなにあっけらかんとしていられるのは、場所がこの島だからだろう。
誰も知らない絶海の孤島。
属する国も団体もなく、誰もがただの一個人。
などはお気楽な一般庶民と化してしまったが、あのひとたちにとっては、こんな場所も機会も、そうそうないものだろうから。
「まあ」、
気を取り直し、はイスラに笑いかけた。
「あたしとしては、連れてきた甲斐があったなーって思ってるところだし」
「そうだね。僕も、ルヴァイドさんが姉さんの相手してくれて、よかったって思ってるところ」
「え? なんで?」
単に剣の相手てだけなら、レックスとかもいたんでは。
疑問を告げる前に、先んじてそれを読んだらしいイスラは笑う。
「姉さんが来るのも久しぶりなんだよ。で、先生達との手合わせを楽しみにもしてたんだけど、護人のみんなの容態のために、ばたばたしてたから」
――不完全燃焼。
そこに、今回の一行が来た、と。
ああ。そりゃ、はしゃぎたくもなるというものか。
「なるほどねー」
納得。
うんうんと頷くの肩を、ぽん、と誰かの手が叩く。
イスラではない。彼が立つのと反対側からだ。
ん、と振り返ったの目に、
「がんばってこい」
「……はい?」
何故か。
かつてないほどにこやかに微笑む、養い親の姿があった。
「負けるなよ、イスラ」
「え? ね、姉さん?」
そしてイスラもまた、逆方向からアズリアにそんなことを云われている。
……ちょっと待て。
とイスラは顔を見合わせ、次いで、相手の腰にある武器を見下ろした。
長剣と短剣(ちょっと長め)。
……ちょっと待て。
「イオスをと思ったが、どうもそこの弟御相手だと加減が出来ないというのでな」
「それに、槍と剣よりは剣と剣のほうが仕合もしやすいだろう?」
……ちょっと待て。
待ってください。
なんでそんなににこやかなんですか、お二方。
ランナーズハイとかいうやつですか。
「ちょっと、ルヴァイドさ……」
「姉さん、それはさすが、に……」
いくらなんでもそれはないよと。
自分たちまで巻き込むなと。
抗議しようとしたとイスラのことばを封じたのは、揺るぎなく、強く。陰りなく、確かに。
――微笑みまくる父と姉の、無言の迫力そのものであった。
これはあれだ。
どちらからともなく、悟る。
世に曰く。
一心を注いで育てた弟子同士を競わせる、師匠の表情とかいうやつだ……!
救いを求めて彷徨わせる視線が向かう先は、もはやひとつしか残されていなかった。
だが、
「……」
「……」
イオスもギャレオも、諦めた笑顔で空しくかぶりを振ってるばかり。
だめだ。
弟子が師匠に、部下が上司に、押しで勝てるわけがないのである。
「……ふっ」
先に吹っ切れたのは、やはりといおうか、のほうだった。よどみない動作でもって、腰の剣を抜き放つ。
そう、いつぞは伝説の剣豪にさえ迫らせた、くだんの白く輝く刃。
それを見て、イスラが目を見開き、後ずさる。
「ちょ、ちょっと! それは大人気ないんじゃ……!」
ちなみに、彼の獲物は業物ではあるのかもしれないが、魔剣鍛冶師を経由せずとも入手できそうな代物だ。
そんなこと百も承知の上で、は、びしりと切っ先をイスラに突きつけた。それから、にこりと微笑んで、
「さーイスラ。あのときの仕切りなおしといこーか」
思い出したら腹立ってきた。
何をって、そりゃあれだ。心臓刺されたときのあれだ。
にじみ出る怒りに気づいたイスラ、なお後ずさろうとして――「……」あきらめたらしい。
「せめて、剣は折らないでね」
「……そういえば、あのときも、あたしの剣へし折ってくれたっけねー」
「――あ、あはは」
薮蛇つついたイスラは、かわいた笑いをこぼしながらも、ゆっくりと剣を抜き放つ。
あのときは、逆だった。
彼が魔剣を持っていて、は特に変哲のない剣だった。
今は、が不思議剣を持っていて、彼がそこらの剣である。
当時のことを知らないルヴァイドとイオスが、どこか不思議そうな表情でやりとりを眺めてる視線を受けながら、とイオスは適当な間合いを保って向かい合う。
――息を吸う。
――息を吐く。
ああ。
やっぱり、この空気、好き。
意識せぬまま閉じていた瞼を持ち上げれば、やはり、同じように呼吸を整えて、微笑んでいるイスラが目に入った。
「お手柔らかに」
「冗談」
やるとなったら真剣勝負。
苦笑交じりの社交辞令を、不敵に笑って刎ね返す。と、
「……」イスラが少し目を丸くして、それから、「――だ」
そう、嬉しそうにつぶやいた。
今、は、例の彼女なんだけどな。
なんて云おうとしたものの、結局それはことばにせぬまま聞き流す。
――だけど、その理由も少し、判る気がする。
あのもこのも、同じ人物ではあるのだけれど、今、イスラが改めてつぶやいたのは、そこに当時の姿を見たからなんだろう。なにせ、ここについてからのって、基本的にのほほんとして過ごしてるから。
「」
高める気持ちの邪魔をしない程度の声で、イオスがその名を呼ばわった。心なし眉を持ち上げて、挑戦的な眼光を見せて、彼は云う。
「負けるなよ」
「イスラ、レヴィノス家の意地を見せてやれ」
快活に笑ったアズリアが、それに続けた。
とイスラは頷いて、一拍。置いて同時に地を蹴った。
――結果は、その場にいた彼らしか知らない。