また逢えると思わなかった
また触れられるとは思わなかった
それは、遠い遠い記憶の果ての 時間の果てを思い出させる
……ああ。
ほんとうに。その存在はある意味、最終兵器。
また、愛しいあなたに逢えるなんて思わなかったよ――
「……畳万歳……!」
風雷の郷は鬼の御殿と呼ばれるそこが、郷をたばねるミスミの居宅。
彼女とスバルと、キュウマ。あとは周囲の世話をする少々の者たちが、住人だ。
賑やかしさを提供するスバルは例によってパナシェたちのところへ遊びに出ていて、御殿は静か。
だけれど、人口密度は実は、ちょっぴり増加している。
計算は簡単。
一人出て行って二人入ってきた――そういうことだ。
「畳、畳……ああ、このお日様であたたまったイグサの香り……」
ごろごろごろごろ。
「この手触り……この、目に沿って手のすべる感触……」
ごろごろごろごろごろごろりん。
「……畳万歳……」
ごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろ・・・・・・
どっかの発情した猫もかくやのありさまで、ひたすら畳に愛をつぶやく怪しげな彼女は、と呼ばれている。
「ほんに……ご機嫌じゃのう」
それを、呆れたように微笑ましくも見守るは、御殿の主、ミスミ。
「……ご機嫌というレベルでしょうか」
苦笑して、湯飲みを手の中で転がしているのは、ヤード。
「そういえば、先日差し上げた敷き物はどうされました?」
と、やはり湯飲みを手にしたキュウマ。
今日も鍛錬に明け暮れようとした彼を引き止めたのは、ここにいる全員だ。
最初にスバルが遊びに出かけ、ミスミが何をするでもなし縁側に出たときに、とヤードがやってきた。
このふたり――とくには、シルターンの文化をこよなく愛しているらしい。
ヤードは、ゲンジのつくる茶を気に入っている。
そんな彼らは、ゲンジの庵にて彼の茶畑の世話の手伝いをしたあと、当然の流れでこちらに足を向けることが多かった。
他の海賊メンバーなどからは、「年寄りくせぇ」と云われることもあるようだが、彼らにとって、それは何の障害にもなっていないに等しい。
でなくば、人前でこんな姿を見せたりはするまいて……
ちらり、と、示し合わせたように3人分の視線が向くのは、畳に頬を寄せて至福の笑みを浮かべるである。
頬を寄せるどころか、全身ぺったりくっつけて――つまり、寝転んで。
一応年頃と思われる女性がそんな無作法な、と、キュウマは当初こそ苦い顔をしていたものの。
畳に向けるの情熱に負けたか、近頃ではむしろ微笑ましささえ感じているようである。
ミスミやヤードから云わせれば、「子供が好物の菓子を目の前にしているようなもの」であるから、判らなくもない。
そうして。
視線を向けられたはというと。
ほんのり紅潮した頬を持ち上げ、上体を少し起こして、にへっと笑う。
「はい、愛用させてもらってます!」
この極上の笑みからも判るように、キュウマ曰くの敷き物は、イグサ製である。
彼女の世界のことばでいうなら、ラグとかカーペット。小さめの。
最初に郷を訪れた彼女が畳を見てあまりにも感激していたため、ミスミとキュウマがついつい情けをかけて渡してしまったというこぼれ話までついてくる。
敷き物一巻きを抱えて船に戻った彼女を見て、やはり、メンバー一同絶句していたとか。
「床だと汚れそうだから、ばっちりベッドの上に敷きましてですね、暇さえあれば転がってます!」
通気性もよくて、寝るときも気持ちいいです!
いや、その使用方法はどうかと思うが。
思う……が。
ここまで「幸せです!」と全面に押し出して朗らかに云われては、つっこむ気さえ失せようというもの。
まして、自分たちが譲ったものでもあるし、喜んでもらえることに悪い気はしない。
「そうですか」
「それは何よりじゃの」
だから、ミスミとキュウマは小さく笑って、同じく幸せそうに笑ってるを眺める。
「なにしろ昨日など、織り目の痕がつくくらい、くっついて寝ていましたからね」
ヤードもそう云って、にっこり笑う。
――ってちょっと待て。
がばっと起き上がったがヤードを振り返るのと、ミスミたちがの側を向くのは、ほぼ同時。
「おぬし、そのようなことまでしでかしたのか?」
「・・・・・・」
「なんでヤードさん知ってるんですかー!?」
こらキュウマ。
ツボに入ったのかなんか知らんが、口元押さえて明後日を向くな。
「なんでもなにも……昨日の朝、あなたを起こしたのは私でしょうに」
仮にとはいえ、召喚獣の面倒を見るのは、召喚主の役目でしょう?
「違う! それ絶対違うから!」
とはいえ、の反論は、ヤードの召喚獣云々に関してのみ。
畳の織目の痕をつけていたことは、ちっとも否定していない。
を見るミスミの目が、だんだん、だんだん細められる。
「――ぷっ」
「うわー! ミスミ様ひどい!」
ああっ、いつの間にかキュウマさんまで!
肩を震わせふきだしたミスミを振り返ったが、その隣ですでに発症済みのキュウマをも視界におさめ。
今までの至福っぷりはどこへやら、ひどいひどいと大騒ぎ。
寝転がるのは見られてもいいけど、畳の痕をつけたってことは、やっぱし女の子として恥ずかしいものらしい。
「いいじゃないですか。カイルさんたちには見つからなかったんですから」
「……昨日、いつになく優しかったと思ったら、そういうことだったんですね……」
「優しかった、とは?」
ようやっと笑みをひっこめたキュウマが、そこに問いかける。
が答えて曰く、
「や、いつも朝ご飯の時間がありますから、寝坊厳禁なんですけど。昨日は、ご飯とっておきますから、まだ寝てていいですよってヤードさんが云ったんですよ」
「ただし、ちゃんと枕を頭の下に置いて寝なさい、ともですね」
そうして頭をイグサから枕に移動させ、二度目の睡眠をむさぼるうちに、痕はすっかり消えたというわけだ。
「なんじゃ、それではむしろ、ヤード殿に感謝せねばならんのではないか?」
「それでもー! そんなことをミスミ様たちの前でばらさなくたってー!」
「いいじゃないですか。それほど幸せだったということでしょう?」
枕から頭を落として、無意識にほお擦りするくらいに。
「ああもお、ヤードさんのいぢわる!」
くすくす笑うヤードのことばに、ぷう、と頬をふくらませ。
とうとう、は完全に拗ねたらしい。
ごろごろごろと部屋の隅に転がって、3人の座る縁側に背を向けて丸まってしまう。
そんなの様子を見た3人は、目と目を見交わし思案顔。
(ちと、やりすぎたのではないか?)
(反応がおもしろくて、つい……)
(しかし、あのままにしておくのはどうかと思います)
視線と視線で会話をし、キュウマが、すっとその場を立った。
音もたてずにの背後に移動し、とんとんとその肩を叩く。
気配は感じていたらしく、彼女が驚く様子はない。
「……なんですか?」
むくれた口調で、返ってくるのはそんなことば。
だけどもキュウマはひるまない。
畳大好き、シルターン愛のさんへの、本日の最終兵器。
「今日の昼食――白米の飯と味噌汁と焼き魚、芋・人参・鶏肉の煮物、それから梅干と大根の浅漬けも出る予定なのですが」
ご一緒に、いかがですか?
がばり。
「いただきます。」
「では、畑に野菜をとりに行きますので――」
おともいただけますか、と、最後まで云わせず。
「いきます。」
上半身だけ起こしていた身体を勢いよく持ち上げ、立ち上がり、は颯爽と宣言した。
庭の端の井戸で洗い物をしながらそれを耳にしたらしい、あわてた様子のお手伝いさんたちに、ミスミは軽く手を振ってみせる。
彼女たちの仕事を取り上げるようで申し訳ないが、これもまた、楽しみとしては悪くない。
そうして、ヤードもゆっくりと立ち上がる。
「では、私はゲンジ殿に茶葉を分けてもらってきましょう。御仁もお誘いしてかまいませんか?」
「うむ。食事は大勢の方が楽しいからの」
久方ぶりに、わらわも腕を揮うとしようか。
そう云って着物の袖を持ち上げるミスミを見て、お手伝いさんたちが本格的にあわてだす。
「ミスミ様! そのような雑事、私たちが……!」
「良い、良い。たまには母の手料理も良かろうて」
あまり、腕を鈍らせてくれるな。
にっこり微笑んで告げられたことばに、お手伝いさんたちは、それならせめて助太刀を! と、妙に勇ましくそう云った。
えへへ、と。
靴を履きながら、ミスミたちの会話を聞いて笑みを増したを、不思議そうに見下ろしていたキュウマだったけれど。
笑みに混じってつぶやかれたことばに、ああ、と、得心する。
「おかーさんの手料理……かあ」
シルターン風の食事、プラス、母の手料理。
これで完璧に、最終兵器はその役目を果たしたらしい。
を畑に案内しながら、キュウマもまた、口の端が持ち上がるのを止めることができなかった。
――こんなやりとりも穏やかな、それは、忘れられた島でのある日の出来事。
「ところで、本日の最終兵器ってことは……他にもあるんですか。明日用とか明後日用とか」
「ええ」
……とりあえず、風雷の郷には、対用最終兵器がごろごろしているらしい。
――でも。
やっぱり。
「ご飯食べたら、また畳で寝てもいいですか?」
「…………どうぞ」
苦笑するキュウマの横では、嬉しいお返事をもらえて笑顔全開で大根を引っこ抜くの姿があった。
いちばんいちばん愛しいのは。
つまり、彼女に効くとびきりの最終兵器、っていうのは。
今のトコ、畳オンリーの、模様。