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lll ある朝の騒動 lll




 それは、ある朝のこと。
 たぶんいつもどおりの、平和な日常風景だった。

 すっかり調律者一行の拠点地と化した、ゼラムにあるギブソンミモザ宅では、起き出して来た人たちから順番に、朝ご飯を食べ始めていた。
 物事はうまく出来ているもので、テーブルが満杯になって一番に食べ始めた人が食べ終わるころ、お寝坊さんたちがやってくる。
 そうして一抜けで空いた席に座って食事――と、こういう具合で日々の食事のローテーションは出来上がっていた。
 で、最後に食事をとるのはやっぱり、準備とか後片付けとかやっていた当番の人になるのがお約束。

 食堂の壁には、けっこう大きな紙にその食事当番の順番が書いてある。
 老若男女関係なしに、全員の名前がきっちし一周。
 都合が悪かったりしたら替わってもらうのもちろんOK。
 今日も色々寝坊だったり入替わりだったりで当番に変動があった結果、現在食卓に着いているのは誰かというと――

「あつッ!!」

 それまで賑やかだった食卓が、その一言でぴたりとざわめきを引っ込める。
 テーブルについていた全員の視線が、心なし真っ赤になった舌を出して涙目になっているに集中した。
、どうし「火傷したのか?」
 マグナが何か云うより早く、隣に座っていたイオスがを覗き込む。
 先回りされてむっとした表情のマグナには、きっとは気づいていないんだろう。
 とりあえず声をかけてきたイオスに返事しようと、涙目のまま向き直って、
「うん・・・」
 ほら、と指差された舌は、やっぱり赤かった。
 それを見て、イオスは小さく息をつく。
「……熱いものは冷まして飲めと云っただろう」
「だって、かっぷもったかんじはあつくなかったんだよ?」
 そう云ってが指差すのは、陶器製の、しかも厚みがあるタイプのマグカップ。
 中身には美味しそうなスープがなみなみと入っていて。
 それを横から取り上げたリューグが、あきれた顔でを見下ろす。
「・・・そりゃ熱くねえだろ、こんなカップなら」
 ことばのとおり、そんな熱いものが入っているとは感じさせないほど、実に平然と手に持っている。
「うー」
「もう、ったら本当に私より年上なの?」
「そこまでいわれるときずつくんですけど、みにす・・・」
 さすがに自分のお間抜けっぷりに気づいたが凹むけど、ちょっとそれは遅かったらしい。
 もうちょっと早く気づきなよ、と、モーリンのからかいのことばも飛んでくる。
 だいじょうぶですか? と心配そうに聞いてくるシャムロックには、だいじょーぶ、と、上手く動かせない口で答えている。
 で、まだしげしげと自分を眺めているイオスに向き直り、
「ひどい?」
 と心配そうに問いかけた。
 対するイオスはというと、安心させるようににっこり笑ってみせ、
「いや、だいじょうぶだよ」
「そう? よかったー」
 それを聞いたが、また嬉しそうににっこり笑う。
 そして、そんな二人の間に流れるほのぼのした空気を快く思わない人たちが食堂には約数名。
さん、水でも飲んで冷やしてきた方が良いのではないですか?」
 心なしかイオスをちらちら睨みながら、シャムロックが洗い場の方を指す。
 こちらは特に何も思っていない様子で、が行けるようにミニスが扉を開けてくれた。
「うん、そーする・・・」
 やっぱりひりひりするのか、口元を押さえながら立ち上がるを、

「うぁ!?」

 ぐいっと引っ張って、イオスが腕に抱え込んだ。
「いおす?」
「火傷させたままでいさせる気かよ、テメエ」
 不思議そうに見上げると、妙に殺気だったリューグ。
 には笑ってみせて、リューグはぎろっと睨みつけて、イオスはゆっくりの顎に手をかけた。

「舐めとくだけでだいじょうぶだよ、それくらい」

 その瞬間、ミニスの視界はモーリンの両手に覆われたらしい。
 らしいというのは、まあ、誰もが(ミニス以外が)一点を凝視していてそちらの方を見なかったからなのだが。


 ちゅう。


 リューグとマグナとシャムロックは目が零れ落ちるんじゃないかというくらい丸く丸く見開いて、じたばた暴れるミニスを抱え込んでいるモーリンは、『やるねぇ』と感心したようにつぶやいた。

「ん」
 ちゅ。
「ん・・・っ」
 ちゅく。
「んんんっ・・・」

 かすかに漏れ聞こえる音が、静まり返った食堂に、やけに大きく響く。

 微妙に角度を変えながら、イオスはそれを繰り返した。
 息が苦しいのか、それとも別の原因なのか、時折声をもらしているの頬が、だんだんと赤みを帯びて行く。

「・・・・・・」

 完全に蚊帳の外である観客陣。
 モーリンとミニスはともかく、悔しいのは男ども3人。
 気になってる、というか結構積極的に『好き』な女の子が目の前でそーいうコトしててショック受けない方がどうにかしてるだろう。
 呆然とした時間が過ぎると、マグナはますます悔しそうな表情になって、リューグは殺気が9割増し。シャムロックは無表情。

 とん、とん。
 とりあえず酸素を求めたらしいが、イオスの背中に腕をまわして、軽く二回叩いた。

 どうでもいいがそれを見て、抱き合ってる錯角に陥った人間が約3名。

「・・・ぷは」

 色気もへったくれもない声をが出し、ふたりの身体が離れる。
 つ、と、間の空間が光を反射した。

 ――硬直が解ける。

 がしっ! がばっ!!

 真っ先に動いたマグナが、戦闘中でもそこまで頑張らないぞ的勢いでをかっさらい、腕の中に抱きしめた。
 しっかり打算が働いたのか、部屋の隅に下がってイオスから出来るだけ距離を稼いでいる。
 普段ならそれにくってかかるリューグも、さりげなくたしなめるシャムロックも、今回ばかりは『お手柄だ』とつぶやいていた。

「・・・何のつもりだ」

 口元を指でぬぐっていたイオスが、眉をしかめて問うた。

「それはこっちのセリフだっ!!」

 ごく普通の口調での文句に、盛大なわんこの叫びが返る。
 しかもこのわんこは純情で、どうやらさっきの光景を思い出したらしく、とたんに顔を真っ赤にしてしまった。
 それを見たリューグとシャムロックが、また連鎖反応でトマト状態。

 ・・・初心な人たちである。

「なななななななんだってそーいうことを人前でやるんだよっつーかとイオスってそういう関係なのかよ!?」

 きゃんきゃん叫ぶわんこをうっとうしそうに見ていたイオスが、ふ、となにやら勝ち誇った笑みを浮かべた。
 しかし、彼が口を開くより早く、

「うん、そうだよ」

 あっさりきっぱりさっぱりすっきり。 のことばがトドメを刺した。


 ぴき。ぱき。サラサラサラサラサラ・・・・・・

 一瞬のうちに硬直した3人が、石から砂にその身を変える。
「あれ? あれ? どうしたの3人とも??」
 トドメを刺した自覚のないが、とりあえず近くにあったマグナの腕をぺしぺし叩くけれど、当然砂は反応しない。
 何があったんだろうと状況を飲み込めていないミニスを開放してやったモーリンが、さすがにのあっけかんとした態度に何かを感じたらしく、スススと近寄っていった。
「あのさ・・・そういう関係ってどういう関係なんだい?」
 その質問を耳にしたイオスは、チッ、と小さく舌打ちしていた。
「どういうって・・・怪我したら舐めて治すもんでしょ?」
 舐めた側と舐められた側の関係?
 それもそれで傍から聞いたらヤバイことこの上ないセリフだが、その前に発されたことばがそーいうものを吹き飛ばしていた。

 要するに。
 (イオスはどうか知らんが)にとっては、ただ怪我した場所を舐めてもらったという認識しかないのであって。

「……っテメエ! 紛らわしいことすんじゃねぇ!!」

 復活したリューグの怒声が、食堂中に響き渡った。
「勝手に勘違いしたのは貴様たちだろうが」
 わざとらしく耳を抑え、イオスが皮肉な笑みを浮かべる。
(ここでそういう認識を植え付けておけば、手出しする人間も減るかと思ったんだがな……)
 さすがにそれを口に出すことはしなかったけれど。

さん、いいですか、いくら親しい相手であっても、そんな簡単にく・・・・・・・・・・・・・・・・」
 どうやらを諭そうとして、その単語がどうしても云えずにどもってしまうシャムロック。
 きょとんと続きを待つを抱きしめたままでいたマグナが、援護射撃に入る。

「あのな、、キスは恋人同士がやるの! イオスとは恋人じゃないんだろ? だからだめっ!!」
 初心具合ではシャムロックと似たりよったりのはずだが、そこはテンションあがりまくりのわんこ。勢いで云い切ってみせた。

「でも今のキスじゃないよ?」

 とりあえず舌の調子も治ったらしいのことばに、けれどあっさり撃沈。
 しかも。
 あれがキスに見えたならイオスと恋人同士にならなくちゃいけないのかな、とまで彼女はつぶやきだす始末。

 ならなくていい! と、今度は5人分のツッコミが入った。

 だけど。
 の様子を見るに、どうもこれは今回だけのコトではないようだ。
 つまり、記憶喪失になってトリスたちについて行く前――デグレアにいた頃の、もしかして。
「・・・習慣?」
 恐ろしいものを見る目でつぶやいたミニスの声が聞こえたのか、とイオスは顔を見合わせた。
「いや、ケガしなけりゃしないよ? 実際、まだ2回目だし」
 またたき数度して、がぱたぱたと手を振るけれど。
「でも・・・なんで?」
 確認したくないけど、と云いたげな表情で問うマグナ。
 『治療』の理由を訊かれて、は少し首を傾げる。
 イオスを見上げて、彼が楽しそうな微笑を浮かべているのを見、なにが楽しいんだろうと怪訝な表情になって。

「・・・えぇと・・・最初は、イオスがデグレア来たばっかりの頃? やっぱりこんなふうに食事してて、火傷したとき・・・だよね?」
「ああ、そうだね」

 人差し指を口元にあて、思い出し思い出し云うのことばに、イオスがにっこりうなずいた。

 確信犯か!っつーか刷り込みしたのかおまえは!!!

 ツッコミが声にならない分、それを補うような闘気が食堂を埋め尽くす。
 リューグとかシャムロックはともかく、召喚師タイプのマグナは無理なはずだが。
 またそれを挑発するように、口元だけでイオスが笑った。
 彼の目論見どおりか、当然それにかっときた3人が、一斉に突貫しようとした。

 ――とき。

 がちゃりと食堂の扉が開いて、

さんー! 私も口の中をたった今灼熱の炎で焼かれてしまいましたーーーー!!!」

 焼かれた割にえらくはきはき喋っとるなアンタ。

 銀色の髪をなびかせて、いったいどこから話を聞いていたのか(たぶん最初からなんだろうなあ)それこそ特攻隊の勢いで食堂に飛び込んできたのは。
 云わずとしれたレイムこと大悪魔メルギトス兼副業デグレアの顧問召喚師兼変態。
 こう書くと何が何だか判らない。

 とーとつな乱入に呆気にとられた一同を尻目に、レイムはすぱぱっとをマグナの腕から引っこ抜く。
「というわけでさん! ぜひ私にも貴女の熱いベーゼ・・・いえ、手当てを希望致します!!!」
「そんな元気に喋っててドコをケガしてるんですっ!?」
「私がケガだと思えばそこはケガなのですっ!!」
「病気じゃないんだから、そんな、気からケガが出来るかーっっ!!」
「私は出来ます!」
「気でしたケガなら気で治してください!」
「いいえいいえいいえ! ここは是非ともさんの可愛らしい唇を――ごふッ。
 全力で首を横に振り、唇尖らせて迫っていたレイムは突然、後頭部を襲う衝撃に耐えかねて倒れた。

 ・・・ぱたり。

 倒れ伏すレイムを器用に避けたの目に映ったのは、椅子を抱えて息荒く立っている彼女の養い親。
 椅子の足の部分から、ふしゅぅ、と煙が吹いている。
 どうやら足の先に一点集中して僕撃を加えたらしかった。
「ルヴァイド様!」
「……悪寒が走ったので来てみれば、やはりこいつか……」
 もはや顔も見たくないのか、視界に入れようとせずに彼はつぶやく。
 っつーかその椅子どこから持ってきた今食堂に辿り着いたお父さん(違)
「とりあえずその辺に捨てては毒だ。梱包して川に流す。手伝え、イオス」
「はっ」
 幾つかの疑問の視線など意に介さず、ルヴァイドはてきぱきとレイムを縛り上げ、袋にぶちこみ、さらに厳重に封をする。

 ・・・手慣れてるなぁ・・・(一同感想)

 むしろ今トドメを刺してはどうかという意見が出たが、それだと余りにも情けないので却下になったとか。

 さて、いざゴミをかついで部屋を出ようとしたとき、イオスがくるりとに向き直る。
 頬に手を添えて心配そうに覗きこみながら、
「じゃ、。また後で痛くなったら僕に云うんだぞ?」
「はーい」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 

 複数の何か云いたげな視線を背中に受け、黒の旅団の特務隊長と総指揮官は食堂を後にしたのだった。

「・・・・・・。」
「なに?」
 いってらっしゃーい、と笑顔で手を振っていただけれど、リューグのことばに応えて振り返る。
「もうアイツの云うコトは信用するな一切金輪際これっぽちも!!」
 云ってる内容よりも、むしろ彼自身の迫力に押されて、はぶんぶんうなずいたけど。
 はた、と何かに気づいたらしく口を開いた。

「じゃ、今度火傷したらリューグが手当てしてくれる?」

「はあぁッ!?」

 どうにもこうにもイオスの行為がそういうものだと気づいていないセリフに、思いっきりリューグ他一同が脱力したのも、まぁ無理のないコトではなかろうか。

! 俺がやってもいい!?」
 もしかしてこれはけっこう役得では!? と気づいたマグナが尻尾ばたばた振りながら名乗りを上げる。
「何を云っているんだ、マグナ!? ここはやはりきちんと諭しておかねばのちのちさんの人生に影響を・・・!」
 それを咄嗟にしかりつけるシャムロック。
 だが、
「でもとキス出来るんだぞ!?」
 振り返ってそれは真剣に叫ばれたある程度は事実なそれに、『うっ!?』とか云いながら硬直する始末。トマト復活。
「テメエら好き勝手云ってんじゃねぇ!」
 そこに乱入するリューグ。

 そしてその騒ぎを呆然と眺めているとモーリンとミニス。
 疲れきった様子で、ミニスがくいっとの袖を引っ張った。
「あのね、。いい? こういうのに巻き込まれたくなかったら、イオスとしたみたいなコトはやっちゃだめよ?」
「えぇと・・・? ・・・、うん」
「・・・どっちが年上なんだか」
 諭すミニスと諭されるを見ていたモーリンが、ため息ついて宙を仰いだ。


 ちなみに騒ぎは、あまりのうるささにやってきたミモザがペン太君をぶちこむまで続いたらしい。



 それは、ある朝のこと。
 たぶんいつもどおりの、平和な日常風景だった。

  嘘つけ。


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