それは、ちゃんがデグレアに降ってきた、その一ヵ月後のことでした。
その間に、彼女は黒の旅団、そして、顧問召喚師とその手下の面々に紹介され、一部で血を見る騒ぎが早速勃発したりもしていたのですが、それはとりあえず別の話。
黒の旅団指揮官さんのあとを、今日もてくてくとついて歩き、見る者の目を和ませていたちゃんは、そのとき、とうとう我慢できなくなったらしく、目の前にある足にしがみつきました。
「ぬを!?」
おおよそ指揮官らしからぬ声をあげ、ルヴァイドさんは、どうにかこうにか前転顔面殴打を逃れることに成功しました。
「……どうした、。疲れたか?」
ちょっぴりかいた冷や汗をきれいに隠したルヴァイドさんは、足にしがみつく小さな手をそっと外してしゃがみこむと、ちゃんの頭に手をおきました。
傍らを通り過ぎていく何人かの女官が、そんな光景を微笑ましそうに見ています。
蛇足ですが、ちゃんのお世話をしだしてから、ルヴァイドさん、女の人から声をかけられることが多くなったようです。隠されていた彼の父性愛が、表に出たからかもしれません。
閑話休題。
問いかけられたちゃんは、ルヴァイドさんの質問に、「ううん」と首を振りました。
「だいじょうぶ、疲れてないです。あのね、しゅくしゃはここで終わりですよね?」
「……ああ、そうだな。後は屋上くらいか」
崖城都市デグレア。
ルヴァイドたちの務めている、そして暮らす場所である城や宿舎を、今日、ちゃんは案内してもらっていたのです。
本当はすぐにでもそうするべきだったのでしょうが、日々の忙しさにかまけているうちにこうなってしまったのでした。
数日前、冒険に出かけたちゃんが、裏手の倉庫の奥深くのさらに深遠に入り込んで行方不明になり、半日大騒ぎだったせいも、あるかもしれません。
一昨日と昨日、どっさりとある書類仕事を一睡もせずに片付けたルヴァイドさんは、首を傾げてちゃんの質問に答えました。
「……あのね」
「うむ?」
今しがた歩いてきた通路を振り返り、覗かせてもらった幾つかの部屋を思い返し、ちゃんは云いました。
「ここには、こたつってないんですか?」
こたつ?
聞き慣れぬ単語に、ルヴァイドさんは、さらに首を傾げます。
そんなルヴァイドさんを見て、ちゃんは、幼いながらも何かを悟ったようでした。
「あ、ないならいいです。ないのかなって思っただけだから」
「こたつ、とは、おまえの世界にあったものなのか?」
「はい」
ルヴァイドさんの質問に、ちゃんはこくりと頷きました。
「それは、どんなものなのだ?」
いつまでも廊下に居座っているのも邪魔です。
ちゃんを促して談話室へと歩きながら、ルヴァイドさんは訊いてみました。
もしも似たようなものに心当たりがあれば、至急手配してやろうと考えながら。
「うーんとね」
ですが、ちゃんはまだ十歳。
「これくらいの高さの」と云って水平に手を動かし、「四角いテーブルの裏側に赤いあたたかいものがついてて、その上に布団をかけて、上にテーブルの板をおいて、みんなで入ってあたたまるものです」
赤外線なんてことば、とっさに出てきたりはしませんし、出来るだけ判りやすく説明しようとしたらこうなってしまったのは、しょうがないことなのでしょう。
ですが、それだと正直、ルヴァイドさんには何がなんだか判りません。
テーブルの上に布をかけ(テーブルクロスか?)、上に同じ大きさの板を載せ(これはテーブルの用に供すのだろうから、判らないでもない)――ここまではなんとか想像出来ます。
ですが、“赤くてあたたかいもの”とはなんでしょう。
おそらくは、それが“こたつ”の最大のポイントなのでしょうけれど、いかんせん、それが一番の謎でした。
「赤くてあたたかいもの……?」
ルヴァイドさんは首をひねります。
あたためたトマト、
火そのもの、
焼きリンゴ、
なんだかどんどん脱線しつつも考えますが、ピン、と来るものはありません。
そんなルヴァイドさんを見ていたちゃんは、申し訳なくなってしまいました。
何も、用意してもらおうって思ったわけではないのです。ただ、デグレアは雪国ですから、なんとなく、自分のおうちの冬支度を思い出してしまっただけなのでした。
ですから、
「あの、ルヴァイドさま……」
他の大人のひとたちを見習って、ちゃんはルヴァイドさんをそう呼んでいます。今もそうして呼びかけようとしたところ、
「HAーHAHAHAHAHAHAHAHAHA! お呼びですかさんッ!!」
ずごーん! と天井に大穴を開け、銀色の髪をしたお兄さんが、談話室に突入してきました。
どうやら長いこと天井裏にいたらしく、あちこち埃だらけです。
服の端っこを、ネズミがかしかしかじっています。
手の甲についた大きな歯形は、いったい何に噛み付かれたのでしょうか。
「あ、レイムさん」
そんな異様な姿のお兄さんに、ちゃんはにっこり笑いかけました。
初対面のときから、彼はずっとこんな調子なので、ちゃんはレイムさんのことを、おもしろいお兄さんだなあと、むしろ好印象を持っているのです。
「ビーニャさん、キュラーさん、ガレアノさん。こんにちは」
天井裏からひょっこりと頭を出し、今しがた上司の空けた大穴を塞ぐべく、どこからともなく取り出した大工道具で仕事を始めた三人を見上げ、ちゃんはちょこんと頭を下げ、ご挨拶をしました。
「キャハハハッ、すッごい落下っぷりだったね!」
「……ク……ククククク……これを今から我々が修繕するのですよ、わかっているのですかビーニャ」
「待て、キュラーよ。いっそ、あやつの部下にやらせれば良いではないか……カカカッ」
あやつ、と示されたルヴァイドさんは、無言で、傍にあった鎧の等身大置物の持っている槍を抜き取ると、それを天井に向かって突き上げました。
穂先は潰されていますから、殺傷能力はありません。
ですが、
「ぐほぅッ!?」
当たれば、痛いものは痛いのです。
見事顎にクリーンヒットをくらったガレアノさんは、奇妙な悲鳴とともに穴のふちから姿を消しました。
キュラーさんとビーニャさんは笑顔でお互いを見ると、そのまま無言で修繕作業に入ります。
「……あの……ガレアノさん……」
「奴の顎がそれを欲していたのだ」
心配そうに天井を見るちゃんの肩に手をおき、ちょっと力をいれて自分のほうへと向かせながら、ルヴァイドさんは云いました。
その真面目なお顔に、ちゃんは「そうですか?」と納得します。
「――ルヴァイド……貴方、最近人が変わったと云われませんか?」
「一番の変態ぶりを見せた貴様が何を云う」
ちょっぴり蒼ざめたレイムさんのツッコミに、ルヴァイドさんは淡々と返します。
この場合の変態は、“not正常”ではなくて“状態変化”の意味でおとりください。
ちなみに、ちゃんが来る前、周囲から見たレイムさんとルヴァイドさんの評価はこんな感じでした。
片や『冷徹冷酷な一見優男顧問召喚師』
片や『堅物頑固な任務一辺倒総指揮官』
それが今や、
『どっきりおちゃめにはじけるぜベイベ顧問召喚師』
『父性愛に目覚めまくった親バカ総指揮官』
なんてことになっているのです。
「ふっ……貴方と無駄な問答をする気はありません」
あわやにらみ合いが始まるかと思われた矢先、レイムさんはルヴァイドさんから視線を外しました。
目を伏せ、さらさらした銀の髪を、かっこつけてかきあげます。
そこに、ぱらぱらと天井から埃が落ちてきました。落ちてきた埃は、レイムさんの鼻に着地します。
レイムさんの顔が、奇妙に歪みました。
「へくしょぃッ!! へぷしッ! ひゃへっくしょおおぉッ!!」
――クシャミ連発です。
そりゃそうです。
レイムさんは、自分が空けた穴の真下に立っていたのですから。頭上で穴の修理が始まれば、埃だって落ちてきます。
「ふぺきゅッ! ――――ビーニャ! キュラー!」
ラスト一回のクシャミを終えたレイムさんは、顔面をひび割れさせて天井を見上げました。
が、すでに、そこから覗いていたはずの部下ふたりの姿はありません。
命の危険を察したふたりは、すたこらさ、逃げ出していたのです。
ですが、そうなると、穴の縁からだらーりと視えている、真っ白い手は誰のものなのでしょう。心なし、ひくひくと痙攣しているように見えますが……
怒りを向ける対象を失ったレイムさんは、その手に目をつけたようです。
天井を向いたまま、口のなかでぼそぼそと何かを唱えます。
その途端、
「ふんぎゅらぐばあああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁッ!?」
ルヴァイドさんは、さんの耳を両手で塞ぎました。
響く絶叫に顔をしかめつつ、レイムのむこうずねを蹴飛ばします。
「はうちッ!? 何をするのです!?」
「妙な悲鳴を聞かせるなッ! 情操に悪かろうッ!!」
振り返り抗議するレイムさんに、ルヴァイドさんは云いました。
それを聞いたレイムさんは、「はっ!」と口に出して慄きます。そして、すぐさま天井に向けて手のひらを掲げました。
「お黙りなさい、ガレアノッ!!」
「―――ふごぅッ!? …………………………」
それもまた、何か意味のある仕草だったのでしょうか。
断末魔めいた呻き声を最後に、妙な悲鳴は止まりました。
もうそれが聞こえてこないことを確認し、ルヴァイドさんはちゃんの耳から手のひらを放します。
おとなしく、されるがままになっていたちゃんは、
「もういいんですか?」
と、ルヴァイドさんに訊きました。
「ああ」
立ち上がり、天井から滴ってくる赤い何かをちゃんに見られないようにしながら、ルヴァイドさんは頷きます。
その横に、レイムさんがやってきました。
「さん。さんがこたつをご所望であること、このレイム、たしかにお聞きいたしました」
「え? レイムさんはこたつを知っているんですか?」
ぱっ、と、ちゃんの顔が輝きます。
レイムさんは、即座に鼻を押さえました。
そんなふたりを、ルヴァイドさんはおもしろくなさそうに見ています。ちゃんを嬉しそうにさせたのが自分でないのが悔しいのですが、レイムさんはともかくとして、ちゃんがそんなふうにしているのを、邪魔するわけにもいきません。
「い、いえ……残念ながら、リィンバウムにこたつはありません。ですが、今さんが仰っていた材料をそろえれば、こたつが完成するのですよね?」
鼻と口を手のひらで覆っているため、多少聞き取りづらい発音なのですが、ここは省略します。
ともあれ、ちゃんは、それにこくりと頷きました。
「テーブルはあります、板もあるでしょう。羽毛布団を用意すれば、充分断熱効果は期待できます。――ルヴァイド、それはすべてこの施設にあるものでしょう?」
「ああ」
テーブルと云っても、ちゃんがさっき説明したのは、地べたに座ればちょうどよかろうという高さのもの。この宿舎にあるのは、椅子に腰かけて使うものなのですが、
「多少高さがあるが、足を切って揃えればよかろう」
多少という高さではないですし、足を切ると云ってもこの宿舎のものは軍の備品扱い、私用することは禁止されているはずなのですが、ルヴァイドさんはさらりとそう云いました。
談話室の入口を通りかかったゼスファという兵士が、「俺は何も聞いてねえ……」と、蒼ざめながら、早足でその場を後にしていました。ちなみに彼の出番はこれだけであり、出した名前に意味はありませんが。
そしてまた、レイムさんも頷きます。
「ならば、あとは肝心要の“赤くてあたたかいもの”さえ用意できれば、こたつは完成するというわけですよ!」
「……そうまで云うからには、貴様、それに心当たりがあるのだろうな?」
すっごく胡散臭いものを見る顔になって、ルヴァイドさんは云いました。
そんなルヴァイドさんに、レイムさんは自信満々頷きます。
「ふ……まだ判っていなかったのですか? それが何であるか、私はすぐに思い至りましたよ? そう! つい数分前、羨ましくもさんにちょこちょこ後をついてこられながら歩いていた貴方に恨みを込めて、1/1スケール人形に五寸釘を打ち込みながらッ!!!」
――IN天井裏。
「そうか」
といいつつ、ルヴァイドさんは壁にかけておいた槍を手にとり、レイムさんの鳩尾を突きました。
「はぶッ!?」
「ル、ルヴァイドさま!?」
それを見て、さすがにちゃんも悲鳴をあげます。
ルヴァイドさんは、のたうちまわって悶絶しているレイムさんを背に隠すようにしてしゃがみこむと、やわらかく微笑んで云いました。
「奴は不治の病でな。時折、ああしてあのツボを突いてやらんと、命にかかわるのだ」
「……そうなんですか……」
レイムさん、かわいそう。
ほろり、と涙するちゃん。
まあ、不治の病というのも命にかかわるというのも、ちゃんが想像するのとは右斜め176度くらいにきりもみ回転した方向にではありますが、間違いではないのですが。
それに、
「お心遣いありがとうございますさん。……あなたは、本当に優しい子ですね」
しっかとちゃんの手を握ったレイムさんを見ても判るように、彼の復活の速さは並大抵ではありませんし。
「そんなあなたのために、大至急こたつを捧げましょう。さあ、ここに“赤くてあたたかいもの”を用意いたしました」
「え?」
手を放し、懐を探り出したレイムさんを、ちゃんは驚いて見つめました。
ちゃんとした仕組みはわかっていなくても、それがリィンバウムにないであろうことは想像していましたし、ましてや、それが懐に入る程度の大きさではなかったことを、ちゃんは覚えていたのですから。
「たった今、とってきたばかりの新鮮なものですよ」
「……新鮮?」
きょとん、と首を傾げるちゃんをいとおしそうに見て、レイムさんは懐から“赤くてあたたかいもの”を取り出します。
「この色、伝わるほのかなあたたかさ、未だ滴る雫に打つ鼓動……これぞまさしく“赤くてあたたかぐッ!?」
それがちゃんの目に入る前に、ルヴァイドさんは、槍を持った手を大きく振りぬきました。
水平に弧を描いた槍の柄は、見事、レイムさんの胸部に命中します。
そしてそのまま、レイムさんの身体は吹き飛ばされ、談話室の窓を突き破り、雪の吹雪くお外に消えてしまいました。
――ひゅおおおぉぉ、と、北風が入り込みだした談話室から、ルヴァイドさんは、ちゃんを抱き上げて退散します。
勢いをつけて扉を閉め、鍵までかけて、「……やはり奴は信用ならん」と、そういう問題ではなさそうなことをつぶやきました。
「……ルヴァイドさま?」
何が起きたのか判らなかったちゃんは、小脇に抱えられたまま、ルヴァイドさんを見上げました。
ルヴァイドさんは、そんなちゃんの頭を優しく撫でてあげます。
気持ちが良くなったちゃんは、今しがた浮かんだ疑問も忘れて、嬉しそうに笑ったのでした。
「……で、もうちょっと詳しくって頼まれて、電気で動くって話したら、ルヴァイド様がゼルフィルドに訊いてみようって云ったのよ」
「へえ……」
「そしたらゼルフィルドもこたつは知らなかったんだけど、それは多分遠赤外線を利用した発熱器具ではないかって」
「……そうなんだ」
「でも、ここって発電施設ないじゃない? だから、結局こたつは立ち消えになっちゃうとこだったんだけど、ルヴァイド様ががんばってね」
「だろう、ね……」
当時のことを楽しそうに話すさんからつと目を逸らし、イオスさんは、今己の座っているこたつから伸びたコードをしみじみと眺めました。
「……で、これはどこに繋がってるんだい?」
「お城の地下にある、レイムさんたちの召喚実験場」
ルヴァイドさんに剣を突きつけられるまでもなく、さんのために必死になったレイムさんは、研究の末、メイトルパから電気ウナギを喚び出すことに成功したのです。
そして、毎年一定の期間だけ、お仕事してもらうことになっているのでした。
…………その召喚術が流れ流れて聖王都に伝えられ、将来どえらい事態を招くなど、現在、家族でぬくぬくこたつむりと化しているさんには、想像し得ないことだったのです――
◆ ◆ ◆
「……人間、いつ何がどーなるか判らないって本当だよね」
「まったくだぜ」
路地裏の浮浪者ふたり、月を見上げながら話すサイジェントの夜は、のんびりと更けておりました。
妙に遠い目でつぶやいた赤い髪の少女を、やはり赤い髪した小さな魔公子が、うなずきつつも不思議な顔で眺めていたとかいなかったとか。
「自分で自分の退路ふさいでるんじゃ、アホだよねえ」
「……何のことか全然判らねーけど、オマエがアホってのには同意だな」
風に紛れたつぶやきは、うら寂しく溶けて、消えてゆくばかりでありましたとさ。
……合掌。