「え……?」
「だからさ。は、召喚獣ってことになるんだよ。しかも、事故で喚ばれた、な」
「……そんな……それじゃあ」
「そう。あの子はもう二度と、本当の両親には逢えんのさ」
――雪の降りしきる訓練場。
どうして、そんな話になったのか、よく思い出せない。
やっと、少しずつ馴染み始めた周囲の人間と、最初は世間話をしていたんだとは思う。
が何かにつけてイオスの世話を焼くから、それをからかわれたのが、きっかけだったか。
何故あんな少女が、こんな軍隊にいるのかと――
疑問を紡いだのはイオスだった。
そうして彼らは、それに答えた。
「あの子は、小っちぇ頃、どっかで起こった召喚術の事故で、デグレアに落っこちてきたのさ」
「うちの部隊でよかったよ。ルヴァイド様じゃなかったら、捨て置かれて終わりだったかもしれん」
「育ててくれてる恩返しっつって、反対も押し切って軍人になるって決めたんだ」
あんな小さい子が、血と汗と屍の混ざる戦場で、よく正気を保てたもんだよな。
初陣は、11歳になるかならずかのときだった。
そう聞かされた瞬間、イオスは心底、という人間のとんでもなさを実感したのかもしれない。
そうして、同時に――
※
昨日までの雪が嘘のように、今朝は早くから、太陽と青空がデグレアの上空を支配していた。
ぐずぐずだった地面も、昼を過ぎれば、乾いた冷気で水分が飛ばされて固まってしまう。
めったにない好天を味わうかのように、数少ない植物たちが、我先にと太陽に向けて葉をめぐらせるざわめきまで聞こえるほどだ。
そしてここにも、晴天の恩恵にあずかるふたりがいた。
「ここをつなぐんだっけ? えっと、この赤いのは?」
「ソレハ、右ノ電極ニ挟ンデクレ。――下の黄色イぷらぐハ、次ノ回路ニ使ウ」
「うん、わかった」
……かちゃかちゃかちゃ……
ここぞとばかりに充電(日光浴)をするゼルフィルドと、そんな彼のメンテナンスを手伝う。
まだまだ小ぢんまりとした少女が、それなりの巨躯を誇る機械兵士の身体によじ登って奮闘している光景というのは、端から見ているだけでも微笑ましい。
感覚回路と思考ユニットだけを起動させているゼルフィルドは、の作業に横からアドバイスをするだけ。
オイルやらグリスやらでべとついた手を、はこまめにふき取っているが、それは、ゼルフィルドのパーツを汚さないためらしい。
でなくば、タオルをとるのも惜しいとばかりに服にこすりつけはするまい。
「っとと……」
んー。
んーー。
んーーーーーーっ。
指定された部分に、手にしたコードを繋げようとしているらしいが、生憎手が届かない様子。
……そんな小さな身体で、この子は戦場にいたのか。
ひょい。
「わ!?」
「ほら、これで届くだろう?」
「……イオス?」
すたすたとその場に歩み寄り、イオスは、の身体を抱え上げた。
鍛えられているとは云い難いが、街で見かける女性のようにやわらかくもない彼女の身体は、想像していたより軽い。
「ありがと!」
ぱっと笑って、は今度こそ、コードをつなぎ終えた。
えーと、とつぶやきながら、処置漏れのパーツ類がないかどうかをチェックして、胴体から頭を抜く。
身軽に飛び下り、やっぱり手を服にこすりつけると、パタンと内部メンテナンスのために開いていた部分を閉じた。
「できたよ! どう?」
「アア、完璧ダ。――板ニツイテキタナ」
伸ばされるゼルフィルドの手のひらが、軽くの頭をなでる。
その仕草にも、イオスは最初、相当驚かされた。
戦闘兵器である機械兵士が、まさか、そんな繊細な動作をするとは夢にも思わなかったからだ。
もっとも、驚くイオスを見た他の兵士達やルヴァイド曰く「この場合は例外だろう」とのことだったが。
何度か往復する金属の手を、は心地好さそうに受け止めている。
「じゃあ、ゆっくり寝てね。おやすみ」
「アア」
ゼルフィルドのそれに比べれば、ひとまわりもふたまわりも小さな手で、は彼のボディを叩く。
ガシュゥ……
何かの途切れるような音がして、機械兵士の目の光が消えた。
ゆっくり落とされた腕と、それこそ糸の切れた人形のように伸ばされた四肢が、本格的な休眠モードに入ったことを示している。
それを確認し、満足そうに頷くと、はくるりとイオスに向き直った。
「イオスも、ありがとう。ごめんね、手伝わせて」
やっぱりまだ、手の届かないところとかあって、苦労しちゃうんだよね。
……当たり前だ。この間、やっと13歳になった、って喜んでたじゃないか。
よほど熱心にやっていたのか、ゼルフィルドの胴体にもぐりこんでいた上半身は、ほとんど油汚れだかなんだかに覆われている。
「あ」
不意に、が目を見張った。
「ごめん! 手、洗ったほうがいいよ!」
「手?」
なんだろうかと思って見てみれば、と同種と思われる油が、手にべったり。
さっき抱え上げたときのものらしい。
「井戸があっちにあるから、一緒に行こ」
「あ……ああ」
さっさと歩き出して手招きするに反対する理由もなく、イオスも足を踏み出した。
太陽が出ているとはいえ、デグレアの気候はそれでも暖かいとは云い難い。
けれど、地熱のおかげで一定に保たれている井戸水は、冷え切ったふたりの手に心地好かった。
特になど、隣にいるのが異性なのだと本当に意識しているんだろうか。
頭から水をかぶって、気持ちいいと笑われた日には、どこを見ればいいんだろう。
もっとも、それも予定のうちだったらしく、物陰でさっさと服を替えて来たときには、いっそ呆れるしかなかったのだけれど。
「あー、すっきりした!」
がしがし、と、頭にかぶったタオルで乱暴に髪を拭いて、は笑う。
メンテナンス完了、自分もすっきり。となれば、ご機嫌にならないほうがおかしいというわけか。
油の落ちた手をタオルで拭きつつ、妙なところで納得してしまった。
そこに、当のの声がかかる。
「そういえばイオス、どこかに行く途中とかじゃなかったの?」
手伝ってくれたのうれしいけど、時間とか約束とかあったら、今からだいじょうぶ?
ゼルフィルドのメンテナンスをがやっていたことからも明らかだが、今日は、せっかくの晴天だからと訓練は中止になった。
本来の休養日は明日なのだが、そこはそれ、ルヴァイドはそこまで鬼じゃない。……養い子に対しては、だが。
故に、イオスの服も、普段の軍服に比べればはるかに簡素。
厚めの生地を使った濃紺のシャツと、光沢のない黒のズボン。
腰に下げているのは、念のための護身用、三つ折にして収納できる槍――どこの通販のうたい文句だか。
耐久力などないに等しいが、携帯性と即時性には優れているため、戦いの心配がない日にはたいてい、イオスはこれを常備している。
問いかけたの腰にも、小振りの短剣。
メンテナンス中はゼルフィルドの足元にあったが、今はしっかり彼女の剣帯におさめられていた。
「……いや、別に予定はないんだ」
気づいたら、そんなことを云っていた。
「あ、そうなの?」
彼の予定をつぶさないですんだことに安堵したのか、ほう、と息をついて、は表情をほころばせる。
無意識にだろう、胸元であわせた小さな手には、つぶれた血豆や固くなった皮膚やらがある。
それはイオスも同じことなのだが、そんなものが、目の前の小さな子の手にも存在するということに、――小さな憤りを覚えた。
「君は、どうして戦うんだ?」
「え?」
「……軍人になって、ルヴァイド様の役に立つ。それで恩返しをするんだ、って」
君の口癖だって聞いた。
「あ、うん」
だから――どうしてそこで、ためらいもなく頷ける?
初陣は、11歳になるかならずか。
イオスと出逢ったあの戦のときには、すでに、何度か戦場をその目にした後。
人馬が駆け、剣が打ち交わされ、血と肉と、それに塗れた汚泥と死体。
綺麗に脚色された英雄譚なんかでは決して語れない、それはひとつの修羅道。
「どうして、君は、そんなものを見て……見たのに、それでも軍人を目指すんだ?」
遠い世界の君の家族がそれを知ったら、たぶん悲しむだろうと思う。
もしも、自分にこんな妹がいて。
いくら恩があるとはいえ、軍人になるなどと云われたら。
きっと反対していただろう。
大事だから。
大切だから。
……自分が血に汚れているからこそ、せめて、きれいな場所で笑っててほしい。
あの黒騎士は、そう、思わなかったんだろうか?
少なくとも僕は、そう思うけれど――
あ、うん。
ゆっくり、が頷いた。
「ルヴァイド様にはすっごく反対されたよ。なるというのなら俺を倒せとか云われたし」
「・・・・・・」
無茶だろうそれは。
大人気なさすぎだ、あの人。
絶句して頭を抱えたイオスにあわせてしゃがみこみ、は続ける。
「でもねえ。あたし、他に何ができるってわけじゃないんだもん」
料理とか掃除は、もう、その専門さんがいるし。
夜伽とかは、絶対ムリでしょ。
「よ、夜伽って!」
「何驚いてるの? イオスだって、えーと、色街? 行ったことあるでしょ?」
男の人なら当然だって、みんな云うよ。
「君がそういうことを云うから驚いたんだ!」
「え? そう? 常識でしょ?」
「……あんまり知っててほしい常識じゃないよ、それは……」
どういう経緯でそんなことを知る羽目になったのか、問えば。
やっぱり軍人になるのを反対するルヴァイドが、脅しの意味兼ねて、行軍中の軍隊の実情をあれこれあれこれ話したらしい。
てゆーか、そこまで反対してたなら、どうして許可出したんだ。
てゆーか、そこまで聞かされてなお、軍人志願できる君っていったい。
「帰るのを待っててくれればいい、って、ルヴァイド様は云ったんだけどね」
それは、あたしがいやだった。
「……子供っぽい理由、なんだけど」
「…………」
「寂しかったから、なんだよね」
置いていってほしくなくて。
見送って待ってるのは寂しくて。
帰ってくる日を指折り数えるのは、心細くて。
「でも、軍人になったら、そばにいれるから」
大好きなルヴァイド様とゼルフィルドと。軍のみんなと。
「強くなったら、ルヴァイド様に、お世話になったご恩返しもできるから」
ほら。一石二鳥。
生半可なことではないと、今は、身を持って知ってるはずだろうに。
にっこり笑うの表情は、それが容易いことのように思わせる。……そんなことはないのに。
「だから、あたし、がんばるんだ」
そんな一言で済まされるほど、単純なものではないだろうに。
「…………」
「それに、最初はほんときつかったけど、今は結構楽しいんだよ。やっと、みんなと一緒に訓練出れるようになったし」
「知ってる。……非戦闘員の偵察兵かと思ったら、訓練で他の人間と渡り合ってるものだから、白昼夢でも見たのかと思ったよ」
名目上は非戦闘員で偵察兵だよー。
そう云って笑うの頭に、イオスは、そっと手を乗せた。
タオルの上から、ちょっと力を込めてなでる。
話してるうちにだいぶかわいたらしく、油汚れの無い、普段の焦げ茶の髪がそこからこぼれた。
注視しなければわからないくらい、ゆるやかなカーブを描くやわらかな髪。
くすぐったいよ、と、タオルを押さえる小さな手。
……本当に。まだ子供なのに。
それなのに……なんて、――
衝動的に、腕が動く。
を包み込むように位置した腕は、あと一瞬、手の指を組み合わせれば完成するところだった。
「あ、そうだ。イオス、今日は暇なんだよね?」
「……え……あ、うん」
つくりそこねた輪を止めて、イオスは、少々どもりがちにうなずいた。
その腕をとり、が立ち上がる。
「それじゃ、お昼ご飯食べたら、一緒に買い物行かない?」
ゼスファから教えてもらったんだけど、街の古書店が、今日は特価なんだって。
兵士の一人の名を挙げてのことばに、イオスはこっくり頷いた。
そうだね、と、笑い、逆にの手をとって立ち上がる。
「じゃあ、少し早いけど食堂に行こうか」
「うん。おばさんにお弁当頼んでたんだ、出来てるといいんだけど」
お弁当?
「ゼルフィルドが今寝てるところ、日当たりいいんだよねー」
あそこで食べるつもりだったの。
イオス、それでいい? 見上げる視線に応じるのは、やっぱり頷き。それから笑み。
それから、ふたりはそろって歩き出す。
なにげなくつながれた、子供たちの手のひらは。
皮膚が固くなっていて、血豆の痕も残ってて。
だけど、そんなのどうでもいいくらい、お互い、とってもあたたかかった。
――さながら今日のお天気のように。
もう二度と、帰れなくても。
もう二度と、逢えなくても。
寂しくて泣いたけど、心細くて丸まったけど。
お父さんとお母さんへ、あたしはとっても幸せです。
※
「――ってか、あたし、ルヴァイド様に勝ったんですよね、考えてみたら」
「そうだな」
「それじゃあ、晴れて軍人オッケーのお墨付きを!」
「軍も国も解体されて、軍人も何もあるまい?」
「でーもー。やっぱりあたし、これからも、剣持って動きますしー」
「・・・仕方のない奴だな」
「……ちょっと待て! 許可もらってたんじゃなかったのか、!?」
「あー、違うの違うの、あのときはね、殆どあたしの泣き落とし」
その後なし崩し。
「な……泣き落とし?」
「うん。置いていかれるの寂しいーって泣いたら、しょうがないって楽勝確定の行軍に連れてってもらったの。いっちばん奥の天幕限定だったけど」
でも一度現場を見ちゃったら、血のにおいに耐えられないからとか、死体がごろついてるから目に毒だ、とか、そんなこと云えないもんね。
「もぉ、吐き気とか頭痛とか、いっそ頭イッちゃえば楽かとか何度も思ったけど、根性で乗り越えたのさっ」
「で……でも、どうやって?」
ルヴァイド様のことだ、後方から決して出すなとか厳命受けた兵が見張ってたんじゃないのか?
「――いつの間にか抜け出して背中にへばりついているのを発見したときは、目を疑ったものだ」
……気づけよ、総指揮官。
今ごろ明らかになった事実に、イオスは心底痛感する羽目になった。
子が子なら、親も親。
その範疇に自分も含まれていることを、幸か不幸か、彼はまだ気づいていない。