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・手・



 彼(便宜上そうしておく)の手は、小柄な体躯とは反比例して、長く、そして大きい。
 別に生まれつきだというものではなく、逆に、後天的なもの。
 限界を無視して鍛え上げたからこそ取得したものだそうだ。さぞ、その過程は想像を絶するものだったろう――というか想像しようと努力することさえ、『殺し名』だとかそういう世界の住民を相手にしては無駄なんじゃなかろうかと、弥栄は、最近思っている。
 そう。
 たとえその手が、弥栄の身体をすかすかすかすか、すり抜けていても、手の主が「あーもーなんで触れねーんだよ――!」とかキレそうになってても、どうしていい加減諦めないんだろう、と、考えることも無駄なんじゃなかろうかと――
 思えれば、苦労はしないのだが。
「ねえっ!」
「はいっ!」
 つきかけたため息は、苛立った彼のことばで吹き飛んだ。
「なんで、おねーさん、僕に触らしてくんないわけ! 僕、おねーさんにゃ何もしてないだろォ!?」
「……」
 何もしてないから触れないんだよ。
 と云ったら、彼はどんな反応を示すだろうか。
 そのへんの壁とか家具とか、いつぞ、某戯言遣いとの戦いで見せたように、壊して抉って喰らうのだろうか。
 ――彼がわりと感情的っぽいことを考えるに、笑えない想像だった。
「あ……あのね?」
「うんっ!?」
「……」
 秘策でも授けてくれると思ってるのだろうか。
 喜色を全面に押し出して迫ってくる彼の姿は、もういない、彼の妹とどこかしら、重なる。
 いや、双子(かなりの事情がそこにはあるが、とりあえず置いといて)なのだから、瓜二つなのは当然だ。――ただ。
 ただ、この表情。この仕草。
 あまりに違うと思っていたふたりの、そんな同一に、今さらながら気づいてしまうと……少し、哀しい。
「おねーさんっ!」
「あ」
 ふっと思考に落ち込んだ瞬間を、彼は見逃さなかった。
 肩を掴んで食い下がろうとしたのか、両手を突き出し、空振りして、前のめりに倒れる。
 当然のように響く転倒音と、舞い上がる埃。
「いってえぇぇぇ〜〜〜〜〜」
「い、出夢くん……だいじょうぶ?」
「だいじょうぶじゃなぁいッ!!」
 のろのろと身を起こしかけた彼――匂宮出夢は、おねーさんこと弥栄が声をかけると同時、がばぁっ、と、戻るバネ以上の勢いで起き上がった。
 弥栄をにらみつける双眸には、ちょっぴり、涙まで溜まっている。
 そんなに痛かったのだろうか。
 それとも……そんなに悔しいのだろうか。触れないのが。

 ――なんて。エロ親父じゃあるまいし。

「ったくぅぅぅゥゥぅッ! おねーさんの身体触りたいのにぃぃぃぃィィィ――ッ!」

 ――エロ親父か貴様は。

 心底悔しげに絶叫する出夢から、弥栄は、数歩ばかり距離をとった。
「あーあー……おねーさん、きっとやわらかいんだろうな。ふわふわなんだろうな、すべすべなんだろうな――」
 肩を落としてつぶやく出夢。
 これじゃ本当にエロ親父だよ、というか、セクハラモードの戯言遣い氏な方向に転がるのだけはやめてほしい。
「ね」
 そして、またしても弥栄ににじりよる出夢。
「だめ? だめ? ねえねえねえ、僕、おねーさん触りたい。抱きたい。抱かれたい。そんでもって慰められたい」
「出夢、くん」
 それが直截的な性交のことでないのは、弥栄でなくても判るだろう。
 理澄――匂宮理澄。出夢の妹。
 一人で二人の匂宮兄妹。殺戮奇術の匂宮。
 その、かたわれ。
 理澄。
 もういない。

 その喪失。

 その空白。

 出夢。
 残されたかたわれ。

 喪失と空白。ぽっかりと。

「……抱いてあげたいよ」
 抱いてる形に出来るだけ近く。
 出夢の肩に腕をまわすように――抱きしめるように、そうして、頬を合わせるように。
 それでも、互いに何らの感触、伝わることはないのだけれど。
 ――声だけは届く。
「おねーさん」
「私だって。悲しんでる子、見てるだけなんて……」
 辛いとか。
 哀しいとか。
 弥栄が、出夢へ、云えたことではないけれど。
「――おねーさん」
 出夢が小さくつぶやいて、ほんの僅かに、首をかたげた。
 もし触れ合えていたら、もたれかかるような体勢だった。

「おねーさんの手、あったかいね」
「え?」
「……触れないけどさ、あったかい」

 出夢が身を起こす。
 輪をつくった弥栄の腕から出ないように、細心したのが見てとれた。
 にぱ、と。
 にこ、と。
 いささか鋭すぎる感のある犬歯をみせて、匂宮出夢は笑う。屈託のない笑顔を見せる。
「おねーさん、大好きっ!」
 ――匂宮理澄。
「と、僕は宣言する」
 ――匂宮出夢。
「宣言?」
「そー。僕はおねーさん大好きだ。理澄はあのお兄さんを好きだったから、僕がおねーさんを好きでちょうどいいじゃん?」
「……そういう問題?」
「そーいう問題」
 胡散臭げな弥栄のことばに、出夢は、目を細めて頷いた。

「僕の手はおねーさんに届かないけどさ、おねーさんの手は僕に届いたんだぜ」

 だから、

「――そんなおねーさんが、僕は、大好きだ」

 にぱ、と。
 にこ、と。

 ――匂宮出夢は、笑ってみせた。


 触れずに、届かずに。

 それでも、のべられたその手のひらは――抱くぬくもりは。ちゃんと届いてくれたから。


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この相反っぷりが好きなんですよね…