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・我慢できない・



 いつも、にこにことやってくるその人が。
 今日に限って、切羽詰った表情をしていたことに驚いた。
 というか、そんな表情も出来たんだということにびっくりした。
 いつかどこかで読んだ絵本の、チェシャ猫のイメージは最初からそのまま。

 そして思ったのは、チェシャ猫も切羽詰まったりするんだなあ、と、そんな間抜けな感想だった。


「姫さん、おいで」

 招き入れるなり、主導権はその人に移ったようだ。
 の横をすり抜けて部屋に入ったエンヴィーは、すぐさま身を翻してそう云った。
 真っ直ぐに、手を伸ばして。
 云われるままに、一歩足を踏み出して。
 そっと、手を差し出したら。

 まるで届くまでの距離も間も惜しいというように、すぐさま腕をつかまれる。

「っ?」

 引き寄せられる力。
 軽い衝撃。
 結構しっかりしたその胸に抱きしめられたのだと気づくまで、少し時間を要した。


 黒い髪、さらさらと。
 の頬を撫でて、重力に引っ張られて。
 黒い髪、ふわりと。
 の髪さえ巻き込んで、の背に流れて落ちる。

 それから。

 はあああぁぁぁ、と、長くて大きなため息が耳元で発された。

「ヤバかったぁ――」
「どうしたんです?」

 うん、ちょっとね。

 余裕が出来たのか、片方の手のひらで、の髪を梳きながら。
 エンヴィーはそのまま、傍のソファに座り込む。
 当然は抱いたまま。
「来る途中に、ちょっと気の昂ぶる仕事しちゃってね」
 何の仕事なんだろか。
 思ったけれど。
 ほんのり香る、鉄錆に似たにおいが、に問いを放つことを留めさせた。
「姫さんに逢うまでには、まあおさまるかなって思ったんだけど。おさまらなくて」
 でも、来ちゃったからには逢いたかったし。
「でもそのままだと、姫さん見て我慢できるかどうか判らなくてさ」
「――してます・・・よね?」
「うん。姫さんあったかいから」
 はあ、と。
 もう一度ため息。
 今度は、幾分ゆっくりと。
「ヤバかったー。姫さん見た瞬間、もーこのまま壊したらどんな気持ちいいだろうって思っちゃってさぁ」
「・・・・・・」
 こらこら。
 と、ちょっと怒ったというか、戸惑ったというか。
 そんなの空気が伝わったのか。
 くすくす、と、笑みこぼれる声。
「だから我慢したじゃん。ギリギリだったけど」
「……壊そうとした相手抱っこしておさまる破壊衝動っていったい……?」
「ん。気持ちいいの再確認したからね」
 きゅ、と。
 まわされた腕に力が入ったのが判った。
 そういえば、ここまで全面的に触れられるのは、初めてじゃなかろうか。
「・・・ん」
 くぐもったような、満足したような。
 たとえるなら、猫が気持ちよくって喉を鳴らすのってばこんな感じなのかと。
 思わせるような声が、エンヴィーから聞こえる。
 一度じゃなくて、二度、三度。
 時折すり寄せてくる頬とかも考えると、なんだかカンペキに猫だ。

 ……そういえば猫って、自分のものって印ににおいつけるんだよね……?

 ふぅ。
「ひゃあ!?」
「あはははははは、びっくりした?」
「い、いきなり耳に息ふっかけないでくださいよー!」
 反射的に起こした身体は、だけどまだエンヴィーの腕のなか。
 でも腕は緩められて、その人の笑った顔はちゃんと見えた。
 ・・・あ。
 いつもの表情だ。
 さっきのような切羽詰った感じじゃなくて、余裕綽々に相対してる、いつものその人の表情。
「かわいいかわいい」
 また、ぎゅう。
「わたしはペットじゃありません〜」
「知ってるよ」
 姫さんは姫さんだよ。
 国家錬金術師で、中央所属の軍人で(もう少しで東部に異動だけど)、通い猫にも優しくしてくれる姫さん。
「おんなじ黒髪で、目はちょっと紅かかった金色で――」
「も、もういいですから」
 苦笑いして、止めた拍子に。
 さらり、と。
 黒髪がふたりぶん、まじっての身体にこぼれた。
 横目に見たそれは、やけに蠱惑的で。
 一瞬ことばを失ったの肩口に、ちょっとした重みがかかった。

「……まだ、あったかいままでいてよね。姫さん」

「壊そうとした人が何仰います」

「うん。でも我慢したし」

 えらいでしょ?

 それは偉いって部類なんですか。

 ひとしきり応酬して、ふと気がついた。
 肩口に押し付けられたままのエンヴィーの頭に、そっと手を添える。
「エンヴィーさん……」
「『さん』余計」
「……もしかして、わたし壊そうとしたの……」
 云いかけて。
 ことばを探して。
 ――結局。
「ちょっとだけ……嫌だった、ですか?」
「違う」


 すっごく嫌だった。

「まだそのときだからじゃなくて?」
「うん。どっちかていうと、感情のほうがね」

 でも、自分がそーいう風にノリやすいの自覚はしてるからさ。
 どうしようかなーって迷いながらここに来て。
 姫さん見たらやっぱり、すぐにでもそうしたくなったんだけど。

 けど?

「・・・姫さんがあったかいの、知ってるから」

 だから、それをちゃんと身体に焼きつけて。
 今はまだ、あったかいのを感じてていいんだぞって。自分に教えておこうと思ってさ。

「……複雑怪奇な性分なんですねえ……」

 だけども。
 懐く振りだけしていた猫が、なんとなく。
 ちょっとだけ、ほんとに懐いてくれたみたいで。
 ほころんだ表情見られなくって良かったな、と、は思ったものである。

 が。

「……てゆーかね?」
「はい?」

 にーっこり。
 身体を放して、いつものチェシャ猫の笑顔を浮かべて。

 エンヴィーは云う。

「なんか、別方面の我慢が利かなくなりそーなんだけど」

「・・・・・・は?」




 ・・・急転直下まであと十秒。


■BACK■



わたしのなかで、これ、ゲロ甘って部類に入るんですけど、
他の方から見たらどうなんでしょうねー。
エンヴィー、必殺猫っかわいがり。気に入ったものには容赦なく優しいです。
(日本語として破綻してるだろ)
書いてて思いました。うちのサイト、本命この人になるかもしれん、と(いえ原作展開にもよりますが)