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・サヨナラ。・



 さよなら。
 このことばが嫌いだった。
 少なくとも、自分にとっては。

 さよなら。
 このことばには、置いて行かれるイメージしかない。
 時の流れに置き去りにされた自分を、否応にも思い出させるから。


 さよなら。

 云われて返すことはあった。
 自分からその意味で使うのは、初めてだよ。



 シンダルの遺跡が揺れる。
 真なる風の紋章と、炎の英雄率いる一団との戦闘で、遺跡自体の限界がきたのだろう。
 壁が、柱が、次々と崩れ落ちて瓦礫となり、降り注ぐ。
 遠慮会釈なしに。
 無尽蔵に。
 縦横に。

 けれど。
 その一角だけは、ずっと無傷のまま在った。

 すでに朦朧としている意識で、どうしてだろうとそんなことを思う。
 まるで何かに守られているようだと思った。
 誰に――何に。
 セラはすでにぴくりとも動かない。
 そう間をおかずして、自分も同じようになるだろう。

 守られているようだと思った。
 そのときまで。
 外界からの手によらず、真にこの器と魂がこときれるまで。

 誰に……?

 問う。
 答える。

?」

 ぼんやりとした視線を向けた。
 崩れ落ちる瓦礫も、揺れる世界も、輪郭が歪んでまるで陽炎のようだったけれど。

 ――不思議とはっきりと、見える。そのひと。


 ああ。
 ……懐かしいね?

 15年前、ルルノイエに乗り込んだときも、こんな感じだった。
 たしか、君と彼と一緒に、すべてが崩れるまで立っていた。
 あのとき周囲の影響を防いだのは僕だけど、今度は君が?

 すでに出ない声。

 はゆっくりと、二人の傍にやってくる。

「感謝しろ、このバカたれども」

 云ってることは悪態のくせに、どうしてそんなに涙声なのさ?

「目一杯全力で叩きのめしてやったんだからね」

 何を?
 ――あの化身を?
 いまみたいに泣きながら?

「……」

 笑みを、つくれただろうか。
 麻痺しきった神経と筋肉で、そもそも表情を変えられただろうか。

 ありがとう。

 ……そう、伝えられただろうか。


「……ばーか」


 返ってきたのは、やっぱり悪態だった。

 そういえば、この地で再会してからというもの、逢うたび逢うたび怒っていた。
 自分のやったことがことだから、それも当然かとは思うけど。
 今も。そう?

「別に。怒ってはいない。あんたが申し訳なく思う分には止めないけど。っていうか思え」

 ……相変わらず素晴らしい自論展開。

 感心していると、地響きやら崩壊の音やらで煩いなか、やけにそのため息だけははっきりと聞こえた。
「使いたくないけど使っておこうと思って。どうせ、もうそっちからは喋れないんでしょ?」

 ああ、それからもうひとつ申し訳なく思いなさい。

 トランの英雄が、わざわざ足を運んでくれてるよ。
 ……あんたに鉄拳くらわすには、ちょっと出るタイミング逃してたけど。

 そのことばと同時。
 今まで感じなかったけれど、彼女の隣に気配が増える。
 知っている――懐かしい、馴染んだ気配。
 もう見えない目のなか、けれど彼女と同様に、彼の姿もはっきりと見えた。

 赤い服、緑と紫のバンダナ、黒い棍。


 ……懐かしいね。本当に。
 あのときと似たような崩れ落ちる場所に、あのときと同じ人々が在る。
 その作為に滑稽なものさえ覚えながら、けれど、



 風は、解放される?

 魂のくびきから逃れられたのか、それは自分たちには想像するしかない。
 結局、紋章の力を暴走させただけだと彼が云っていたのをどうとらえるべきか。
 叩きのめされた風の紋章は弱って、彼の魂を解放したのだろうか。
 それとも、そう簡単にまといつく茨は千切れなかったのだろうか。

 答えをくれる存在は、東へと、小さな光を従えて飛んでいってしまったけれど。


 たったひとつ、判るのは、もう二度と、『彼』には逢えないだろうということだった。

 だから。


 使いたくないことばを使う。
 自分からはけっして、使いたくなかったことばを用いて、君との決別にしようか。
 置いていった君へ。

「――“さよなら”」


■BACK■



ルックの件には、いろいろ、思うところがありました。