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・初夏の出来事・



 その数日間は、初夏と云うにはちょっと躊躇われるほどの暑さだった。
 暦上ではたしかに初夏だというのに、まるで真夏のような暑さ。
 石で舗装された道が、太陽の光と熱を照り返して、道路の上の空気がゆらゆらと霞んでいる。
 夜になったらなったで、熱帯夜が待っている始末。

 ――いくらなんでもこんな日に、外に出たがる奴はいない。

 が、外出の目的がよんどころなきものであれば、話は別である。
 チリンチリン・・・
 涼をとるためだろうか、上部につけられた小さな風鈴を鳴らして、とエルリック兄弟は図書館の扉をくぐったのである。

「うわーい、涼しいーっ」

 少し汗ばんでいた肌を、冷たい風が薙いでいく。
 その気持ちよさに思わず声を出したを、軽く咎めるような視線がそこかしこから。
 いつもより人口密度の増えた館内を見渡して、は小さく舌を出した。
 その横で、エドワードとアルフォンスが肩を震わせている。
 小脇に抱えた本の束を、その拍子に取り落としそうになって慌てているところはご愛嬌か。


 ――よんどころなきもの。
 それは何かと訊かれれば、今の彼らなら真っ先にこう答えるだろう。


「冷房」  と。



 返却期限でもないのに本持参でやってきたのは、冷房のない宿では暑さにうだって集中力が持続しないからだ。
 エドワードは一回集中出来れば、あとは余所見などしないのだけれど、今日に限ってはその集中するまでが問題なのである。
 なにせ、室内は空気があまり動かない。
 ある意味蒸し風呂。
 加えて、機械鎧であるエドワードの右腕は金属製。熱伝播率が高い。
 全身鎧のアルフォンスに至っては、もはや云うに及ばず。
 もしかして焼き肉が出来るんじゃないかってくらい温まったとき、とうとう彼らは図書館への避難を決意したのであった。
 ……尤も、理由はそれだけではないのだけど。
「エド君、あっち空いてるよ」
 先刻注目されたのが恥ずかしいのか、比較的小声で空いてる席を指差している
 冷房のあるところに行くからと、持参した長袖の上着を、今は着ていた。
 だから、エドワードも安心して彼女の方を見れるわけだ。
 そう。
 エドワードの集中力が、宿の部屋では持続しなかった理由のもうひとつは、そこにある。

 ・・・視界の端に、ちらちらと袖なしシャツのが映ってどーしよーもなかったからだ。

 うだる暑さのなかでは、服着てくれと云うわけにもいかない。
 だけど、なんか、こう。
 ふたり並んで机に座っていると、どうしても、それは視界に映るのだ。
 ちょっと汗ばんだ、剥き出しの肌とか。
 張りついてしまってる髪とか。
 暑さにうんざりしてるのか、ちょっとぼんやりした眼とか。
 そのたびに、反対隣方向にあるベッドに腰かけて、やっぱり作業をしているアルフォンスを意識的に見るようにしていたのだけれど。
 アルフォンスの周りの空気が、熱を持ってゆらゆら霞んでて。
 そっちを見たら見たで、よけい暑さが感じられてしまう。だけど隣は見れない。

 ・・・健全な青少年の悩みとは、かくも悲壮なものだったのである。

 が。

「・・・姉?」

 机の幅の関係上、必然的にエドワードとが並んで座り、その正面にアルフォンス、と落ち着いたときだ。
 本を広げようとした右腕に重みを感じて、エドワードはぎきぃっ、とでも音を立てそうなぎこちなさで首だけを動かした。
「きーもーちーいーいー」
 右腕の袖をくるくるとまくりあげ、がエドワードの腕に頬を押し付けていた。
「おーい、姉……」
「部屋にいたときってあんなに暑かったのに、ここ来たらあっという間にアイスノンだね〜」
 ああ、部屋は涼しいし冷たいものは傍にあるし。
 天国かもしれない。ここ。
 そんなふうに云うの目が、だんだん、とろんとしていくのに気づいたのは、正面から見ていたアルフォンス。
「・・・兄さん」
 彼が呼びかける頃にはすでに、エドワードも気づいていた。

 熱帯夜=寝苦しい=寝不足 【熱帯夜の翌日方程式】

 そんなときに、涼しいわ静かだわの場所へきたのだ。
 の反応は正しいのかもしれない。
 しれないが。
姉……」
 せめて腕は――

 そう云おうと、もう一度見下ろしたときには間に合わず。
 くぅくぅと、小さな寝息を立てているの寝顔が、しっかりエドワードの腕によっかかっていたのである。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 エルリック兄弟は顔を見合わせた。

 いや、まあ。
 どうせ小一時間もすれば、目を覚ましてくれるだろうし。
 調べものも、アルフォンスが本をめくってエドワードが書き留めれば、ペースは落ちるけど問題ないし。
 どうせ、あまりの暑さに一度は諦めかけた作業なんだし。
 ちょっとくらい効率が悪くなるのは、別にいい。
 寝てるを起こすほど、自分たちは非人情ではないと思う。

 でも。
 だけど。

 すっごく無防備に眠ってるこの人が視界に入って、平常心保てる自信があるかと云われると。
 それこそ、約一名の目がお魚になっちゃうんですけど。

 ある意味悩みを解消するためにここにきたのに、別の悩みが出てきた日には、どーすりゃいいんでしょうか俺。


「そういえばさ」

 ふと思い出したように、アルフォンスが云った。

「明日も暑くなるんだって」
「……」
「調べもの、図書館と宿、どっちでする?」

「・・・・・・・・・・・・」

 青少年の悩みは尽きない。そんな初夏の出来事。


■BACK■



いっそそのまま若さの勢いに任せて(待て)
まあ、でも普通の反応なんじゃないかなあと思いますが。
頑張れ兄さん。弟も応援してるぞ。面白がってるように見えるのは気のせいだ。

100のお題初挑戦です。なんだか普段と変わらない気がします(笑)